2012年2月19日日曜日

何が生きている時に臭いと死んだときに良い匂い?

分散衝動  病理的愛情

東方同人モノ三作目
これでお終い次からは投稿出来るものを書きます


ジェノヴァに支配されるようになった最初の八十年で、かつての漁村は二倍、三倍、四倍と大きくなっていった。次いで人口も四倍になり、それが二度、三度、四度とくりかえされた。新しい住宅地や教会が次々と築かれ、まず市壁の内側に六千戸の住宅、それから壁の外のぬかるんだ平地に一万一千戸の家が建った。年ごとに入港する船の数は増えつづけ、カッファの埠頭をさらに大量の魚と奴隷と材木が通りすぎていった。一三四0年の晴れた夕方、公邸のバルコニーに立って、高い帆柱をもつ船が湾内で夕潮に揺れている情景を眺めるジェノヴァ人総督の姿が目に浮かぶ。彼は、カッファがこのまま発展を続け、何ひとつ変わらずに、より大きく、より豊かに富んでゆくだろうと思ったかもしれない。もちろん、その思いが むなしい夢物語にすぎないことは、十四世紀でも現在でも変わりはない。爆発的な成長、そして人類の思いあがりには、必ず代償が伴うのだ。

「黒死病 ベストの中世史」ジョン・ケリー

0、私から親愛なる貴女への手紙

私の正義は収束している。
幾つもの罪をつくり、あらゆる罰を設定した。
だから私はいずれ何処にも行けなくなるだろう。
自らの正義の為に、己の信念の為に、間違わない為に、枯れて死ぬことだろう。

収斂する意義に挟まれて
自己顕示の正義が為に
無知蒙昧な義を守り
二度と過たぬ様に
虚に実をを探し
唯一解を求め
一つの点に
集約する
或いは
其れ

打つべき手段のすべてを失い、戯れに六足二触を捥がれる蟻のように
しばらく生きてそして死ぬことだろう。

だから君が間違えてくれ、私はそれを受け入れよう、それが正義となるように条理を捻じ曲げ、常軌を圧し折り、それが新たな理となるように。
狂気の妄執を、正気の手段で叶えてみせよう。
真夜中に視た白昼夢を、正規の手順で君の手元に届けよう。

だから、君は。君だけは間違ってくれ。我々がいつまでも正しく在るために

 ペスト菌は、目の前に現れた相手が何であろうと、ほとんどすべてを殺すことができる。人間、鼠、タルバガン、アレチネズミ、リス、プレイリードッグ、ラクダ、鶏、豚、犬、猫、さらにある年代記作者によれば、ライオンさえやられたという。

1、悪魔
 魔法は血に依って行使される。何一つ理解していなくても血が秘める魔性が、現実を踏破し夢想を実現する。
 私は生粋の悪魔だ。
 森羅万象を解すことなくあらゆる現実を概ね暴力で薙ぎ倒してきた。善い者も悪い者も、尊い者も下賤な者も、立ち塞がる者も逃げ惑う者も、等しく必要に応じて、好奇心に応じて薙払った。複雑を単純に、純粋を
 そして、それはこれからも変わらないだろうし、変えられないであろう。私の体に流れる血のように、それを変えてしまうことは出来ない。それは自分の手で己を絞め殺す事に似ている。死ねば力は消え去り一切の痕跡は残らない。煙や匂いすら残さず火は消える。私が死んだ跡には私が生きた道筋は一切合切残らない。私の前に道はある、私の後に道は無い。きっとそれでいいのだろう。私の両親(おそらく居たであろう)も私に何の痕跡も残さず消えた。死んでしまったからだ。何故どのように死んだのかもわからない。ただ脈動する魔術の血だけが彼ら彼女ら、甚大な先人の存在証明だ。なにもかも不確かで揺らめく現実の中で今の私の血潮だけは疑わずにいられる。
 全ての条理は魔を前に頭を垂れる。
 不理解が理解を、不条理が条理を、恐怖が勇気を、狂気が正気を、破壊が創造を、暴力が知恵を、老人が若者を、永遠が明日を、昨日が今日を、記憶が記録を、燃焼が還元を、死が生を蹂躙する。

 それが今の所、私の現実。願わくば幻日。そんな時間の中で私は常に勝者であり続けた。地に這い蹲って貪られる側を敗者と呼ぶなら、敗者の対義が勝者でしかないのなら。
きっと私は生き過ぎている。

 不思議な少女を見た。真っ赤な服を着た少女。深紅のフリルに玩具みたいに小さな靴。人と呼ぶよりは人形と形容するにふさわしい。膝上に置いて愛でるに絶好な、そのためだけに作られたかのような少女。純真無垢で汚れを知らず、綺麗な心に照らされて、善意の水を吸って、誓いのつぼみを瑞々しく保ち続ける。永遠に開花する前の美しさを、夜明け前の期待を輪廻させるための装置。少女玩具。
 そんなふうに私には見えた。ただ望む幻を血の魔力によって作り出したのか。直ぐにそう疑ったがそれは幸いにも否定された。
 何故なら彼女は棺を曳いていた。子供用の小さな棺。真っ黒な漆塗りに金の箔押しで逆さ十字の刻印された棺。単純でいて狂気を湛えている。子供用の棺は、大人の棺普通の大きさの物を半ばで切断して作られる。等スケールの縮小型では無い。そこにはしっかりと切断の断絶の歪つな痕がある。
 まるでそれが死者の背負う罪であるかというように。子供のまま死ぬことを、死んだことを咎める為に。子供用の正しい形の棺は作られることは無い。全長の半分以下で切り捨てられたそれは棺というよりホームベースに近い形だ。なんて皮肉な本塁、還るべき場所は此処ではない、安息を許さぬ逆十字が棺の主を呪っている。
 冬の低い曇り空。少女は誰かの罪を曳いてゴルゴダを登る。遠い暁を求めて。

 一二五○年から一二七○年にかけて、長く続いた中世の好景気は失速し、ついに終わりを迎えた。黒死病をめぐる最大の皮肉は、ペスト菌伝播のきっかけになった中世のグローバル経済が崩壊しかけたまさにそのとき、ペストが発現したことである。

2、レミリア
 きっと誰かが壊した彼は、他人を呪ってさまよい続ける。届かぬ想いを穴に叫ぶ。
 きっと何か狂った彼女は、物語を完結させる。嘘だと知りつつ自分を騙す。
 きっと何時でも惨めな君は、家庭を持たずに子供を作る。無駄だとしりつつ繰り返す。
 きっと何処かで犯した貴方は、自分を呪って苛み続ける。罪を知りつつ繰り返す。
 きっと理由を知ってる私は、動機を失い朽ち果てる。無駄と解って諦める。
 きっと過程を知った貴女は、のたうちまわって苦痛を叫ぶ。私の代わりに涙を流す。

 何処までも深く暗い森。その切れ目に空が見える。星がなくても夜の森より夜空は明るい。ずっと何もない虚空の癖してぼんやりとした冷たい光を投げかける。冬の森は沢山の命が息を潜めているのに何も見えない。どちらも少女には厳しい環境だが、レミリアは虚構の光より現実の闇を好んだ。例えそれの牙が自信の肉体を引き裂こうと、冷たい月光に灼かれるよりずっと良い。こういうのを俗善というのだろうか。レミリアは一人自身のおかれた状況を笑う。
 幻想郷でたったひとりの少女レミリア・スカーレット。そう彼女はもはやたった一人。肩で曳き摺る曳く棺は妹フランドール・スカーレットのもの。否、かつてフランドールであったものをかき集めた一部が詰まっている。(フランドールの死骸は生前の何倍にも膨張し、全てをその棺に収める事はできなかった)棺から染み出した血で、レミリアの歩んだ後にはうっすらと血痕がのこる。
 幻想郷の長すぎる冬。それはあらゆる生き物から活力を根こそぎにし忘却させる。蒔いた種は芽吹かず、熊は飢え死に、河は凍り枯れる。永遠の白夜。もっとも幻想郷に時計技術はなく。唯一の生活指針である太陽が宵の向こうで永遠の黄昏を続ける今。その異常性を証明する手段すらない。異常と日常は渾然一体となり、徐々に総体として死へ不可逆的に傾きつつある。真綿で首を絞めるような睡魔じみた終焉。だれもがそれを受け入れた。
 始まりは、もはや何処だったのか解らない。既に昨日と今日の区別は無く、去年と明日は混濁している。
 産声と病床の譫言を隔てるのは薄っぺらな記憶の残滓だけ。確かなのはレミリアにも両親があり、温かな家庭があった事だ。彼女とて木の股から生まれた訳ではない。それを思い出せた事にレミリアは安堵の息を吐く。吐息は結晶を伴って後方へ流れる。
 けれど記憶の輪郭は曖昧で、ぼんやりと色彩を欠いた夜の中では、なおさら全てが夢の出来事に思える。自身の傷口から脈動し流れる血にすら現実味が無い。足は棒のように強ばり、筋肉が苦痛を訴えかけても。それらは全て夜に見る白昼夢。現実の出来事とは思えない。岩に足をとられ転ぶ、手すらでない。当たり前だ両手は棺を曳く綱を握っていたし、これは現実ではない。目の前には風化して隆起した岩盤。鼻の周りが暖かくなる。なるほど、どうやら目覚めが近いようだ。そう思う、頬には柔らかく暖かな枕の感触がある。きっと私はずっと自分のベットに寝ころんで休日の午睡に悪夢を見ているだけなのだ。
 そう思う。その方が自らを囲む現象よりもよっぽどリアリティがあったし、説明が簡単につく。

 そして、なによりも大きな謎がある。「骨の髄まで病に侵され」て、カッファを逃げ出したジェノヴァ人たちの運命だ。
「ジェノヴァよ、語れ。お前たちはいったい何をしたのか」。ペストの死者になりかわって、同時代のある人が問いかけた。しかし、ジェノヴァはこの船隊について沈黙を守り、いまも語ろうとしない。黒死病に関する文献のそこかしこに不意に出現するカッファのペスト船は、まるで夜の海に漂う亡霊のようだ。ある文献によれば、「香辛料を積んだ三隻のガレー船が・・・いやな臭いのする風に吹かれて、東方から迷いこんできた」という。また、「感染した船員を満載して」クリミア半島から戻ってきた四隻のジェノヴァ船についての話もあった。もう一つの記述は、二隻から十二隻と数はまちまちだったが、小アジアから地中海に向かっていたジェノヴァ商船隊が、黒海の港ペラ、コンスタンティノポリス、メッシーナ(シチリ� �)、ジェノヴァ、そしてマルセイユまで、行く先々にペストを運んだというものだった


3、過日
 青い鳥なんて本当は初めから居ないと知っていたから
 私はお菓子の家を探しに森へ彷徨いだしたんだ
 
 穏やかな日常だった。尊い遠い日だった。
 しかし、それは誰の悪意が無くとも自壊する宿命を孕んだ、土星の環のような終わりを運命付けられた美しさだった。今はそう思う、けれど子供だった私は大人という生き物を信じて安心していたのだ。

 父は一帯を治める領主で農政に長け名君として慕われ、美しい母は病気がちではあったものの芯が強く、人付き合いの不器用な父の良き伴侶として、少女の良き理解者として、母を中心に世界は循環していた。初等学校の国語の教科書に載っている春の風景のような、人々の善意を集めた見本のような家庭だった。実際、領民達は領主の家庭に憧れ、父とは、母とは、子とは、かくあるべし。という模範として領主の高貴さを称え、町の道徳観念は飛躍的に成長した。
 父は寒村の八人姉弟の末子で、幼い頃に口減らしの為に徴兵され、軍隊に育てられた。貧しさを理由に徴用された者は少なく無かったが、その中でも彼ほど幼いものは無かった。父母の愛情を信じられない少年は、他人と心境を共有することなく、冷たく強く成長した。重装備の練兵には閉口したが、初めからどん底にあった彼の生活にはそれが当たり前だった。
 戦争経験を持つ将校の訓練は、平時に於いては過剰で、不平を漏らす兵も多かった。少年は将校の抱く理念を良く理解し、熱心に働いた。外の世界を持たない少年にとって兵役がすべてだった。将校はそんな少年に目をかけ、休日には少年を自宅に招き戦術理論をたたき込んだ。最大多数の為に自死を厭わない兵士としての心得。その矛盾を神を用いず、理の力で排した。少年もまた将校の言葉を信じる事はせず、理によって応えた。戦いに人生に必要なものは信頼ではなく、ただ理解することだと。正しい理解の前には、他者の悪意は雑音でしかなく。少年の心は騒音を受け入れながら不惑にいたる。確かな理論での繋がりは少年に尊敬を抱かせたが、そこに信頼は無かった。徹底的理論は信頼を廃する。理論で繋がりあう彼らの関� �は他者から見れば親愛と取れたが、その実二人ともどこまでも孤独だった。
 将校と懇意になった事で、周囲から少年はより孤立したが。冷たく強い少年は、休暇の度に酔い騒ぐ同僚を見て、理解される必要は無い、と切り捨てた。
 軍隊での食事は、彼の寒村よりも栄養状態はよほど良く、やせっぽちだった少年は屈強な兵に育った。
 少年が19の年に大きな戦争が起きた。
 最初に水源地が襲撃され、毒が投げ込まれた。戦いは始まりから総当たりの消耗戦を予感させた。
 またこの襲撃で将校の両親は拷問の末、皆殺しにされた。原型を止めぬ遺体は水源に投げ込まれた毒と共に下流に流され、将校と少年の暮らす駐屯地に流れ着いた。将校の老いた父母には僅かに息があった。あらゆる箇所で感染症を起こし助かる見込みは無かった。
 将校は一言もかけず父母の頭を叩き割った。
 少年には将校の合理が直ぐに理解できたが、多くの者は同情しつつも陰で狂人と謗った。
 そこから長きに亘る北伐が始まった。敵軍の守りが堅牢だった上、水源が汚染され給水が滞った為でもある。敵兵兵士の装備から水を得ようとしても、そこには僅かしか水が無く。酷いときには毒が入れられており、これによってけして少なくない数の被害が出た。
 将校は厳しい戦いを続けながら、一つの謎について秘密理に調べさせていた。
「何故敵は水源地に籠城し一向に攻めてこないのか?」
 指揮官の愚策、自軍の健闘、内乱の勃発。大衆を納得させるだけの理由は簡単に推察できたが、どれも違うように思えた。将校は少年に密偵の任務を与えた。個人的信頼からではなく純粋に彼の能力がもっとも高く。顔つきから自国の人間だと露見するおそれが低かったからだ。

 少年は将校の命令に応え、単独冬山を越え敵国に入った。凄まじい寒さに手足の指を数本失ったが特に気に病むこともしなかった。たとえ自身の戦闘能力が失われても敵の情報が手には入れば、十分釣り合いが取れるからだ。
 貧しい寒村で少年は情報を集めた。その中で、度重なる国境の変動によって、もともと彼の故郷である村が敵国に併合されていることを知った。少年は傷痍兵を装って故郷を訪ねた。失われた指があつらえむきだった。少年は両親と再会し、概ねの国勢を把握した。度重なる国境侵犯と小競り合い、無意味な死者。かの国はそれらに心底うんざりして、国交を完全に断絶すべく言葉もなく戦いを始めたのだとういう。もちろんそれは自国民向けの都合の良いプロパガンダに過ぎないと思ったが、侵略の意図なしと解っただけで少年の任務は十分だった。その旨を手紙にしたため伝書鳩に託した。
 冬山を再び越えて自国へ戻る事は不可能だった。装備の大半は生活の為に売ってしまったし、だからといって貨幣を使えば自分の出自が露見してしまうからだ。6ヶ月長い冬が去るのをまった。両親は少年をひどく心配したが、少年が争いを締結させる為だと述べると、安心して迎え入れた。少年は冬の間簡単な農作業をして過ごした。 やがて士官の率いる軍勢が少年の故郷まで押し寄せてきた。攻め入る意志が無く、断絶を、攻撃を望むならば、攻め滅ぼすしかない。純粋で整然とした理路だった。少年は士官の決定を先んじて理解できなかった自身を恥じた。士官の率いる軍は燃え盛る火のように砦を攻め落とし、後に焦土を残した。水の問題は敵兵士の血であがなった。文字通り血液で喉を潤し、肉で飢えを凌いだ。敵が我々� �恐れるならば、さらなる恐怖で支配すればよい。これも正しい理屈だった。将校は補給と見せしめを兼ね、村落を全て滅ぼし中枢へ迫った。
 しかし、その勢いは着実であっても皆殺しを徹底した為、けして早くは無かった。正規軍は概ね壊滅したが、恐怖が少しでも不足すれば自警団、義勇軍の結成を許し兼ねなかった。そうなれば一方的殺戮は再び対等の戦争、殺し合いに逆戻り。双方に莫大な死者がでることが予想された。
 だから少年は、自国の勝利の為に、勝てる者の確実な支配の為に、両親の頭を砕き家族を皆殺しにした。
 その血で可能な限り目立つ様にメッセージを綴り、国民から抵抗する意欲を徹底的に殺いだ。
 少年に罪悪感など無かった、あったのは常に付きまとう義務感と焦燥だった。果たしてこれで足りるのか、これだけの殺戮で恐怖だけで、人は無抵抗に断頭台へ首を垂れるのか、人々の生への執着が解らなかった。
 やがて将校の率いる正規軍は敵国を喰い尽くし、戦争は終わった。少年はその功績を称えられ土地と爵位を与えられ、美しい妻を娶った。争いに尽力した将校は戦争集結の夜に首を括った。

 戦争で手に入れ荒れた土地を少年いや領主は、耕し直し自国の貧困層を買い入れ住まわせた。彼らの大半は戦争で親を失った者達であり、いわば人を喰った者の子孫だった。それからは穏やかな時が流れた。戦争で荒れていたとはいえ元は貧しくない農村であり、それをまるまま貰い受けているのだから、当然といえば当然だった。
 領主はやがて妻との間に娘を成し、確かな家庭を持ったが本当の意味で他人を信じ、愛する事は無かった。
 そして、二人目の娘が生まれたときそれは起きた。

 黒班が不可避の死を呼ぶ黒死病、ペストの流行。領主は解剖学の見地から患者の体を裂き、病の死の原因を探した。
頭を割っても
肺を裂いても
脳を延べても
骨を砕いても
爪を剥いでも
腸を開いても
 黒死病の原因は分からなかった。それはあらゆる学術的・呪術的要素を考慮しても解らない。まるで泥の中から生まれるウナギのよう黒死病の原因は湧き出る。そしてついに領主は病の流行と時を同じくして生を受けた次女・フランドールに原因があると考え、彼女の解剖を決意した。 解剖によって何が解るか、フランドールの骨や脳から何をまじなうべきかすら、解らなかったが病理収束の為に何かを行わなければならなかった。この時点で死者は老人子供を中心として領民の三割にも及び、感染拡大を防ぐため人間・物資の移動も制限された。領民の不満を収める為にも肉親の身を切る事は、合理的な判断だった。最早領民の全てが疫厄の元凶を「魔女狩り」を求めていた。
 人間性を排した合理的戦術。人の心も、とりわけ危機が迫っている時は感情よりも理で働く。
 妻も家臣も反対したが皆、病理とそれに伴う労働で疲弊しきっている。独断を先行させるのは容易だった。そして何より領主は恐れていたのだ、実の娘を4つになったばかりの赤子を。生まれついての血のように紅い目。首の据わらぬ頃から言葉を喋り始めた事、暗闇に向かって時折なにか話しかけている事。それらは神童、というよりその対極にあるものに思えた。

 領民の半数が病床に伏せたとき、領主は決断した。奇しくも満月。その昔、冬山を越えこの村へ帰った日、両親を殺した夜を思い出させる厳冬だった。
 妻も娘も患者の慰問という名目で外に出し、臣下にも暇を出した。賢臣と妻は察して涙を流したが、領主は辞して止めなかった。何も貴方が直接することはない、そう妻は言った。けれどその役割から逃れればかえって、娘を恐怖に狂って殺させた事になってしまう。それはあくまでも彼の仕事だった。
 領民に反乱を起こす力は既にないが、それでもなんらかの希望を対策を講じなければ、盗みや殺しで領地は荒れ果て、仕舞にはかつてのここにいた住民たちのように、外側に無意味な恐怖や進展を求めて侵略し、滅ぼされなくてはならなくなるだろう。そうなるならば、せめて自壊するまで秩序を保ち、病魔によって滅亡した方がよりよいと、そう領主は思った。秩序ある死、その為の生贄なのだと諦めた。


一三四八年の夏、ペストがフランスを東に横断し、ドイツ、スイスへと向かった頃、この大量死はユダヤ人の陰謀だという噂が囁かれるようになった。初めのうちは、ただの噂にすぎず、漠然とした非難にとどまった。キリスト教徒がこれほど死ぬのは、ユダヤ人が投げ入れた毒性のある病原菌で井戸の水が汚染されたせいだというのだ。だが、秋になって、ペストの勢いが増すにつれ、この噂には尾ひれがつき、詳細になり、奇想天外になり、ついには中世版の「シオンの議定書」のようなものになった。

4、父
 Lunatic:月には人を狂わせる力があるという。これはCrazy:人の内側の狂気とは別でまるで別の所から来た、感染した狂気ととらえられ。Lunaticによって成された罪は本人の責任としてはとらえられなかったという。日本に於ける「狐憑き」と「気違い」の関係に概ね近いものとされる。

 夕食に盛った薬で昏倒させたフランドールを木の机に寝かせ、私は斧を振りかぶる。毒で殺してしまっても結果に大きな違いはないはずだった。しかし、魔女に毒薬はきかないと云う毒を啜って生きるものだと。もし致死薬を盛ってフランドールが生きながらえたなら、私は娘を「魔女」として断罪し葬らなければならなくなる。そんな非論理的な恐怖が、私を露悪趣向の断頭へ駆り立てたのだ。その実、日を追うごとに疫病による死者がます毎 にフランドールの成長は飛躍していくように思えた。今ではラテン語の読み書きすらこなしし様々な学問を修めている。
 妻や娘は神童ともてはやし、この窮状を救うべく遣われた天使に違いない、とのたまう。たが私にはその実、娘が悪魔に見えた。人の血を啜り、圧倒的な犠牲の上に君臨する上位者。私はそれを恐れた。良かれ悪しかれ、それがグレン地獄の悪魔であっても、あるいは慈愛の神であっても、そんなものの存在を認めたくはなかった。それは喩え月に触れたと謗りをうけても、守らなければならない最後の一線だ。
 北伐に際して血を啜って乾きをあがない、活ける地を焦土に変えて進撃した若き日。今にして思えば青く使命感に燃えていた将校。人中の鬼、人の中に眠る狂気を彼はよく知っていた。鬼は明確な目的意識を以て業を行使する、その鬼になると決意した。

 緊張に心は痺れ
 体は鈍り
 思考は腐る
 誰の助けも断ったのに他人に容赦を求め
 私はいつも溺れ続ける
 肺に空気を満たせば沈まないと解っている筈なのに
 細動する心臓に平静を失い
 秒針よりも早い脈動に焦る
 何処に行けば良いのか
 何をすれば良いのか
 全て解っている
 知っている
 決めている

 私は娘の首をハネた

 肉を裂き骨を断つ手応え。私は本懐を遂げ、側に用意していた子供用の棺に娘の小さな体を入れる。小さく軽く柔らかい体に、やはり娘は悪魔などではなかったのだ、と安堵する。棺に首を失った体をきちんと寝かせ、両手を組ませた時、奇妙な事実に行き当たる。「首を欠いた体はその傷口から一切出血していなかった」のだ。
 私は酷く混乱した。とっさに原因は何か、辻褄のあう理屈を考え自分を安定させようとする。1、薬の作用により血液が流動性を失っていた。2、何者かが致死薬とすり替えており、死後経過による血液凝固、あるいはその薬の性質。3、私は幻覚の中にあり、切断したのはただの人形。
 1、2に付いては直ぐに否定できた。使ったのは広く使われる睡眠導入剤であり、服用によるそのような前例はない。私は殺人にあたって薬の効能を注意深く調べていた間違いはない。2についても秘密裏に用意したもので、誰も存在を知らない筈だし、第一動機がない。仮に娘の救命を目的として妻がやったのなら、その目論見は挫け娘は断頭され、これ以上なく死んでいる。3は私が既に狂人であり、死体と人形を見分ける判断力がないのなら、最早なにも信じる事はできないし、疑うこともできない。

 ブーン・ブーン
 零時の鐘を柱時計が打つ。どうやら十分近く娘の死体を前にして考え込んでいたようだ。私はもう一度自分の行いを確かめる為に、娘の首その切断面に指を這わせる。滑らかで確かな断絶。それは蝋で覆われた様に湿り気というものがない。死という現象のイミテーションのようでまるで・・・
 指先に微かな疼痛。見るとそこには鮮明な黒斑があらわれていた。私は初めそれを娘の血だと思った。やはり娘は現実的に死んでいて、多少不自然な所があっても何らかの偶然が引き起こした事であり一般的な断頭死なのだと。そう思った、思おうとした。
 しかし、その黒班は紛れもなく私の内側から現れたものであり、娘の切断面から流された血などではなかった。それは黒死病、避けられぬ死の病その証だった。指先に現れた黒班は見る間に広がり、私の左手首すべてを埋めた。皮膚感覚は失われていた。浅く早くなる呼吸。机の上に視線を感じた。悪意の籠もった視線。合理的説明の出来ない、理解不能の恐怖に私は振り返る事が出来ず。広がっていく黒斑を、そして腐り落ちる指先を見ていた。酷寒の雪山でもともと不揃いだった指先は今では綺麗に無くなった。

 一三四八年の夏には、一九四○年夏のバトル・オブ・ブリテンのときと同じように、市壁のなかに立て籠もろうという主張が盛んになった。七月、ヨークの司教は「この世で生きることは戦いである」と� �言した。一ヶ月後、バーズおよびウェルズの司教は教区の人びとに大いなる破壊のときが近づいていると警告した。「東方から発した大規模な疫病がすでに隣の王国(フランス)にまで達している。我々が熱烈な祈りを一瞬でも途絶えさせたら、同じような疫病が毒手をこの国に伸ばしてくるだろう」
 はたして何人が司教のいうことを聞いたかはわからないが、一三四八年の雨の多い夏、イングランド人がどれほど大量の祈りを天に捧げたとしても、それは不十分だった。その後の二年間、イングランドは長い歴史のうえで最もひどい災厄に見舞われることになった。エリザベス朝の劇作家ジョン・フォードは、一三四八年から一三五○年にかけての歳月をこう表現している。

 あちこちから知らせがぎっしり詰まり、一つになって飛んできた
 死、死、死の知らせが

5、レミリア

 人形は人間の外形の偽物で
 形状は模しても機能は無く
 張り子の身体は外殻を持つ
 その中にあってゴム動力の飛行機は、模型の群の中にあって、形を模倣するだけでなく
 飛行という能力を備える
 模型であっても偽物でなく、虚構であっても嘘ではない。そんな物に私はなりたいと願っている


 ブーン・ブーン・ブーン
 金属的音色に、私はどうにか目を醒ます。
 長い夢を見ていた。少なくとも相当の時間が経過した感覚がある。身体は死体みたいに冷たくて、側で燃える暖炉の炎が身体に熱を与えている。その熱の不均一さが暖炉に火が点された時間。あるいは私が運び込まれてからの時間を示している。黒い油の染み込んだ床。身体は猫の様に丸まっていて、柔らかな火に暖められている。関節は硬直しとても起きあがる気力はない。私は眼の動きだけで状況を確認する。なんとか眼だけは自由に動いた。暖炉の炎以外に明かりはなく、窓と思しき所には汚れた布(カーテンだろうか)が掛かっている。首すら動かないので、確認できるのは部屋のおよそ半分だけ。それほど広くはない一間。暖炉があることからリビングだろうと思ったが、そこかしこに置かれる様々な日用品から、ここ以外� �部屋があるとは考え難い。
 油に湿った床を叩く靴音。
 誰かが私の側に来たようだ。それが私をここに運び入れた主だろうか。足音は直ぐ側でターンし僅かな振動と木の軋む音がした。どうやら近くにあったソファにでも座ったようだ。埃が舞っている。
「死んだか、それとも死んでいたのか」
 靴音は言った。とても掠れた声で聞き取り難かったが女性だとわかる。行動も部屋もまるきり無骨だったけれど、そう確信させる丸みのようなものがある。
「まだ生きてるわ。今に起きるからちょっと待ってなさい」
 高く細い私の声。眠っている間に痩せてしまったかのように心細くいかにも弱そうだ。震えなかったのはほとんど奇跡だ。
「生意気な口が利ける割には弱気だね。まぁ良い薬の用意をするからそこに転がってな」
 靴音の老女は言ってソファから立ち上がる。再び埃が舞う。これがあまり何度もそうしていると、全部が埃になってちらばっちゃうんじゃないか、っていうくらい舞うのだ。少なくとも重量の半分以上は塵なんじゃないだろうか。老婆は棚を開けながら乾いた音で咳込む。やはりあのソファはもう捨てた方が良いんじゃないだろうか、薬を呑むべきなのは私ではなくて老婆のほうではないのか。一言交わしただけの顔もまだ見ていない老婆を私は柄にもなく心配してしまう。何しろこいつが当面の所、私の生命線なのだ。身動きがとれない間に死なれると困る。
「どうやら助けてくれたのは貴女みたいね。礼を言うわ」
 言うと宣言しておいて直接口にしないのが私の流儀。既に頭がこれ以上無く下がってるから格好が付かないけれど。最低限のキョウジは保たなければ、生き延びたところで生きている価値がない。
「手足以外に痛む所はないかい。大抵の事はどうにかしてやれるから、少しでもおかしかったら言いな」
 老婆は薬瓶を幾つも取り出しながら言う。大抵の事をどうにか出来る人間がどうしてこんな薄汚いところに住むだろう。私は老婆の言葉を信用しない事にした。
「ところでお婆さん。私の荷物を知らないかしら。大きな木箱よ。少し汚れているけど、とても大切なものなの」
 言ってからとても大切なものが老婆の管理下にある状況がとても不味いものだと気付き「お婆さんにとってはガラクタかもしれないけれど、私には大切なの」と付け足す。弱みは見せたく無かったが嘘も吐きたくなかった。
「大丈夫。あの棺はちゃんと外に置いてあるから、レミリア・スカーレットお嬢さん」
 老女は薄汚れたグラスに、さらに濁った水を注ぎながらそう言った。グラスの向こうが見えないほど不透明だ。
「なんで、私の名前を?」
 私はとっさに悲鳴のように言ってしまった。
「それから私の事は魔女子さんって呼びなさい、礼節を弁えて置かないと大人になってくろうするわよ」
 そう言って魔女子さんは、私の目の前で灰色のグラスに紫の粉末を加え、極彩色の液体を用意した。深い皺の刻まれた眦に古木のような鉤鼻。魔女子、魔・女子?サタンの手下みたいな不吉な顔を前にして、きっと私は蛇に睨まれた蛙のように、恐怖を貼り付け硬直してしまった。そして、それが不味かった。悪魔使いは私の口に服従の呪いをかけた毒薬をねじ込んでしまったのだ。
 溶けた冷たい金属を流し込まれたような感覚。それは胃の中で熱を持ち循環する。まもなく私は意識を失った。失神というよりは何かに意識をもぎ取られるようにして。意識の底では金属粉が暖炉のちらつく明かりを受けてキラキラと光っている。

「数が最も正確に把握されているヨーロッパでは、多くの地域でこの疫病による死者が人口の三分の一におよんだ。また別の地域では人口の半分が犠牲となり、場所によっては六十パーセントまでに達した。この病にかかったのは人類だけではなかった。十四世紀半ばのごく短い一時期に「地上で動いていた肉なるものはすべて・・・ことごとく息絶えた」という創世記七章の記述が現実になりかけた。」
 老婆の声が聞こえる体を動かそうとしたが、死んだように動かない。先ほど呑まされた薬の作用だろう、と思い当たる。場所は変わらず薄汚れた暖炉の部屋。しかし今度は床に投げ出されることなく、安楽椅子に座らされていた。視線だけで老婆を見る。老婆は例の塵と埃のソファに腰掛け、灰色のハードカバーを左手に掲げている。そのタイトルは「黒死病 ペストの中世史」ジョン・ケリー著と読む事ができた。老婆は区切りを付けるようにハードカバーを膝に置き、唄う様に続けた。
「ーしかしながら、通常感染生物の全てを殺してしまうような菌は繁殖する事ができない、死んだ宿主と共倒れになってしまうからだ。例えば鳥インフルエンザは水禽類アヒル・カモを自然宿主とし、その正規の宿主の元では何の症状も引き起こさない。流行病は、なんらかの原因で不自然に環境がかき乱される事を引き金として蔓延する。
 では猛威を振るった黒死病の正体とは何なのか?
 黒死病の発端はモンゴル、イシク湖だとされているが、確たる証拠はない。それはかつて泥中から自然発生すると言われた鰻の稚魚のように、天から降ったが如くに中世ヨーロッパで猛威を振るいあらゆる生物を粗方殺し尽くした。そう、あらゆる生物を、なのだ。ここで重視すべきは、犬・猫・鳥・ラクダ・ライオンまで黒死病に死に絶えて、自然宿主がいったい何だったのか、今を持って不明とされている」
「何が言いたい?」
 私の消え入りそうな声は、なんとか言葉として実を結び老婆に届いたようだ。
「結論が知りたければ、しっかりと講義を聞くことだ。質問があれば受け付けるので、なんでも言うと良い」
 結実は愚問としてにべもなく切って捨てられた。
「広く黒死病の病原はペスト菌だとされてきた。がこれには反対意見も多数ある。クリストファー・J・ダンカンは「疫病の生物学」で黒死病の病原はペスト菌などではなく、炭疽菌であると主張している。またサミュエル・K・コーンは「変貌する黒死病」で黒死病は未知の病原菌が引き起こした現象であり、その原因菌は既に絶滅していると主張した。彼らペスト否定論者の主張は揃ってこうだ
「黒死病はまさしくヨーロッパ全体をなぎ倒し、ときには一日に三キロから四キロも移動したが、パンデミック第三波におけるペストは伝播のスピードがどちらかといえば遅く、年に十五キロから三十キロしか進まなかった。もう一つ大きな違いは、死亡率に驚くほどの差があることだ。一度の流行で少なくとも人口の三分の一を殺した病気がその後に登場したとき、人口の三パーセントしか犠牲者をださなかったということがありうるだろうか。」
 というものであり、成る程と膝を打つ程明瞭な主張だ。確かにこれほどの違いがあれば、黒死病と第三波パンデミック(ペスト菌流行)を同じものである。とする方がずっと非科学的だ。ならば黒死病の原因菌は何だったのか?と問えばサミュエル・K・コーンの主張するように「既に絶滅した謎の病原体X」とする他ない。黒死病が引き起こしたような地域の半数以上・多種類の生物を皆殺しにしてしまうような病原菌は存在しないからだ。黒死病現象は一時にヨーロッパの三分の一を死に追いやり、そして急にその病原菌は煙も残さず消え失せた。とするのが、彼らの科学的理想の主張だ。彼らの主張には「謎の病原体x」というご都合主義が不可欠である為にいつまで経っても日の目をみる事は無かった。彼らの論を補強する為に� ��絶滅した病原体の証拠を見つける必要があった。「失われたモノの存在証明をせよ」これはとんだ悪魔の証明だ。」
 そこで老婆は言葉を切り、例の不透明なグラスで水を飲んだ。
「ここまで話せば察しはついたかな。レミリア・スカーレット」
 私は首を左右に振ろうとしたが、残念ながら薬の影響で叶わなかった。
「つまり君。いや君の妹であるフランドール・スカーレット。彼女が失われた悪魔であり、黒死病現象の犯人という事になる。君たちを知るもの、両親、領民、友人。君たちと関わりのある生物・土地すべてが死に至り、君たち姉妹は世界から弾き出された。忘れ去られ行き果て、そしてここに辿り着いた。」
「ここは何処なの?」
 私は不意に不安になって尋ねた。彼女の言うことすべてが真実だとはとても思えなかったけれど、すべてが嘘だとも思えなかった。
「良い質問だ」
 魔女は言った訥々とけれど言葉に詰まるところはなく、それは用意された台本を読むだけの役者を想起させる。

此処は、社会からの鼻つまみ者どもの最果て。
此処は、世界から忘れ去られた者が行き着く所。
此処は、浮き世で断片化された情報の吹き溜まり
此処は、うつつで意味消失したうたかたの寄せる角。
此処は、地獄。
此処は、天国。
とかく現実以外のなにか。
此処は、幻想郷と呼ばれるところ。


 幻想郷、私はその言葉の響きを口の中で繰り返す。なんて地に足の着かない言葉だろう、そこに住む人が自分たちの為に付けるものとは思えない。
「貴女は何者なの?なぜ私やフランの事、流行病の事をそんなに知っている?」
 まるで終わってしまった歴史上の事実であるかのように魔女は私とフランドールの来歴を語った。この小さな老婆は何者だというのだろう。たとえ此処が地獄で目の前の老婆が悪魔でも、簡単に事実を知る術はないはずない。物事を支配する哲理とはそういうものだ。たとえ荒唐無稽な魔法でもその裏には、相応の労力と莫大な量の未知の法則が隠れている。すべて父から学んだ事だ。
 だから私は、目前の魔女を、未知を恐れなかった。暖炉にくべられた薪が湿った音で鳴る。
「発祥地は内陸アジアのモンゴルとキルギスのあいだの、辺境とされるどこか、とされているが確たる証拠は無く。要すれば彼ら欧州人は、このような病理が自らの内から沸いたものと信じたくなかっただけだというのが現実の落としどころだろう。後暗い真実は、いくら論理でばらばらにして埋めてしまっても、真冬の昆虫のように石の下で春を待っている」
 魔女は質問に応えず、用意された文章を読むように言った。けれど視線は空を睨み微動すらしない。
「およそ3000万」
 魔女は厳しい口調で糾弾する。
「黒死病(ブラック・デス)による死者の総数だ。この数は人間以外の家畜動物を含めれば十倍、疫病を引き金に起こった争いを勘定に入れれば千倍にもなる」
 魔女はもはや怒りに燃えてみえる。
「これらの死に対していったいどう責任をとる。フランドール・スカーレット」
 突如あばら屋の壁を突き破り、黒い奔流が魔女をめがけ突き立てられる。それに呼応するように暖炉の火が壁となって間を割る。私は魔女と炎を挟んで反対側、魔女の姿は金属的重みをもった炎の壁に阻まれ見えない。代わりに黒の奔流は間近で見てその正体を知る事ができた。
それは血であり
それは臓物であり
それは骨肉であり
それは髄液であり
それはおよそ人間を構成する物質でありながら、あからさまな人外であり
それは紛れもなく、レミリア・スカーレットが担いで来た棺の中身。フランドール・スカーレットだった。
臓物の奔流は、壁に阻まれ四散し周囲を朱を撒く。さっきまであった生活の香りは色を失い朱に染まる。当然その飛沫は私にも降りかかったが、避けようにも体の自由は首から上のみ血や筋や内臓が全身に張り付くけれど不思議とそれは心地よい生臭さであると思えた。
 臓物の奔流が収まるとその跡には見慣れた姿のフランドールが立っていた。

 フランドールは炎の壁を、玩具のようにチャチな両手で叩く。必然フランドールの両手は黒く焼け爛れ、指先は炭化して煙を上らせた。それを彼女は不思議そうに眺めた後、より満身の力を込めて両腕を叩きつける。幼児が思い通りにならない物事に地団太を踏むような、本来無意味であるはずの動きだった。けれど、その両腕(焼け爛れ枯れ木のような)の一振りで炎の壁は両断され、火種すら残さず消え果てた。
「フラン!貴女無事だったの?どういうことなの説明なさい!」
 私は体をくねらせ、満身の力でフランドールを呼び、結果として座らされていた安楽椅子から滑り落ちた。その衝撃のあまりの小ささ、体の軽さに私はようやく、両方の手足をモがれていることに気づいた。体が動かないのは薬の作用などでは無かった。動かすべき四肢をすでに奪われていたのだ。掛けられたぼろ布の重さのせいで気付かなかった。けれど不思議と悲しくもなければ、喪失感もない。ただ単純に現実が私から感傷に浸る余暇を奪っているだけかもしれないが。
「ごめんねレミリア。ただ躾の悪いそこの妹を教育する為に自由な手足を与える必要があったの」
 フランドールの攻撃の向こうから、当然のように現れた魔女は悪びれることなく言う。
「折檻するなら勝手に一人でやってよね!」
 私は軽口で応じる、そのくらい心理状態がハイになってしまっているということだろう。
 フランドールは赤子の声でワラい。私の両足を使って魔女に駆けよる。けれどその走りはおよそ理合を欠いたもの。ただ力一杯前方へ足を繰り出す、だけのものであり先ほどの火焔によって肘から先を失った上で、大きさの少し合わない私の脚を大股に繰り出した結果。仰向けにすっ転んだ。
「だって、万全の状態で真っ正面からへし折らなきゃだだっ子は負けを認めないからね。お姉ちゃんなんだから我慢なさい」
 言って、魔女は本を朗読するように緩慢な速度で唱える。
 圧されては火を吐き・減ぜられては水を喚ぶ
 火は水を喚び・水は眠りを喚ぶ
 水曜・狂い裂き悲願華


 魔女は早口に唱える。するとフランドールを中心に大きな氷の結晶が生まれる、液体と比べ数倍に膨張する氷の結晶構造が、フランドールを内側から引き裂いて、綺麗に解剖してしまう。その結晶は生け花を封じ込めた琥珀のようだ。
「貴女が無意味に暴れた所為で、とても大切なものが損なわれてしまった。どうせ貴女は大人になれないのだから、少しの間そうやって大人しくしてなさい」
 魔女はフランドールを完全に分解・凍結させてしまうとそう告げた。きっと言葉がもともと通じない事を承知で、けれど自分の為ですらない。それはきっと献花のように純粋に捧げられた言葉だった。
「懲らしめて、そのあとどうするの?フランはこれでもきっと死なないよ」
 私は魔女を慰めるように声を掛ける。肉親を妹をひどい目に合わせた相手なのに、その表情があまりにも悲しそうだったから。
「そうね、フランドールはどうやっても死なないわ。けどそれは、フランドールが不死なのではなく、不死がフランドールという形態をとっているからなの」
 魔女は私を抱え宥めるように、説得するように言う。泣きじゃくる幼児をあやすみたいに。泣きそうなのは魔女の方なのにおかしな事だ。
「だからフランの力を削ぐ為に、貴女とフランを混ぜてしまうほか方法はない。貴女たちは二人で一つの不死になるの。細胞の基礎、二重螺旋がそうであるように、これからは補いながら、死に合いながら、否定し合いながら、殺し合いながら、永遠を生きて行くの。我慢出来る?レミィ」 彼女は優しく笑って言ったけど、それが相談でなくて最後通知である事は明確にわかった。
「簡単よ。それに四肢を捥がれてしまっては、他に選択肢もなさそうだし」
 私は失われた両腕の切断面を見て言う。傷口に巻かれた包帯から僅かに血が滲んでいた。思ったより強引な方法で施術は行われたらしい。あんなに凄い魔法使いの癖に、怪我の一つも治せないのだなと思う。けれどやはり魔法にも哲理があって、手順があって、省略不能の手続きと、避けて通れない儀式があるのだとわかって安心する。
 世界はまだ不都合で至極合理的な仕組みで駆動している。
「貴女の四肢は既にフランに癒着している。後はレミィ、貴女がフランを取り込めば、力は分割され黒死病のような大きな力の行使は独断では不可能になる」
 そう言うと魔女は私の傷口に巻かれていた包帯を取り去り、フランドールの棺から彼女の四肢を取り出して傷口同士をぴったりと合わせる。それらは別物どうしのはずなのに不思議とキチンと符合する。フランドールの小さくてちゃちな両手脚。それらがいまは既に私のものだった。
「一応関節から接合してあるけれど、筋肉が癒着するまでもうしばらく掛かるからね」
 言うと魔女は膝から崩れ落ちる。文字通り魔女の体は、膝から下が崩れ潰えて脚の形を失っている。私は彼女を助け起こそうとするが、ちゃちな手足は差し伸べるだけで精一杯で引き上げる事はできない。そもそも私は自立ができないでいたから、単に魔女に縋りついた形だ。
「ねぇ!一体どうしたっていうの」
 訊いて答えが本当はわかっていることに気付く。知っていて何かの間違い、気のせいだと否定して欲しかったのだ。崩壊した脚の症状は、アカラサマにフランドールの黒い奔流と同じアリサマだった。真っ黒な血に浸されて、筋肉や骨がアサッテの方向を向いて、もとの機能を放棄している。細胞すら既に生きているはずは無いのにそれは妙に生々しく、それなのに白骨よりずっと死体じみている。まるで死そのものが、なにか不正な手段でコビリついてしまったかのようだ。そこには魔女の行使した炎や氷の魔法のような一定の哲理は認められず、なにもかもが出鱈目で、すべては嘘で出来きて見えた。
「ああ、しまったな。避け損ねてたか、というか当たらなくても関係ないんだな」
 魔女は諦めるように呟いて、数分前まで小屋の中央だったあたりの床に臥せる。それを私は渾身の力で埃のソファへ引きずる。肩や脚のつなぎ目がブチブチと切れる音、酷く現実的な激痛。両の手足を失った時には無かった現実の私個人の苦痛だ。ようやく私の知っている、なじみのある日常に戻ってきたのだな、とおもう。けれどそこで知っているのは土地の名前だけ、私の手足は妹のもの、妹の手足は私のもの、見知らぬ他人は今にも存在意義が意味消失寸前。しかし、不思議と既視感があった。私はこの状況、いやこの人を知っていると、思い出した。
「そうだ、名前を教えて。貴女の名前、まだ聞いてない」
 私は魔女をどうにかソファに寝かせると、自分も倒れ込んでそう言った。彼女の躰は腰からしたが既に無くなっていた。だから非力な私にも運べたのだ。
「ありがとう、レミィ。貴女お父さんに似て強い子よね」
 魔女は空を睨んでそう言った。今度はその先のフランドールを見据えているのではない。彼女の眼は現実の光を捉えない。
「だから早く甘えられる人を見つけるのよ。強い人は強いままじゃ、自分の弱さが許せないんだから。あの人もそうだった。
 あの人最期まで格好良かったのよぉ。
 予定を繰り上げて早く帰って来ちゃった私を見ると、フランをグチャグチャに潰して棺桶に詰めちゃったんだから。
 その時もう躰半分崩れてたのよ。それなのに笑っちゃう、私の事心配して。
 フランがあんな風になったのだって、私の責任なのに全部自分で背負い込んで解決しちゃってさ。
 ここに行き着くようにみんなが私たちを忘れてしまうように処理をして。これはつまり領民みんなが死んじゃうようにしたって事なんだから、ほんと残酷よね。私がいうのもなんだけど。
 私、生まれつき悪魔なの100パーセント純粋に。けれどあの人に恋をして、人のフリして貴女を生んで。
 本当は子供を産むのが怖かったの、私はこうして長い時間を掛けて人間のフリをして人のようになったけど、生まれてくる子はきっと悪魔のままだって。
 けれどレミィ貴女が普通の子供として生まれてくれて私もあの人もとても安心して、油断して。フランが生まれて少し変だと思ってたけど、見ない振りして、そうしてればきっとあの子も私みたく、人間みたいになるかなぁって。
 きっとあの時の私は夢の中で生きてたのね。とても幸せだった。そしてまやかしだった」

 崩壊が進み横隔膜が失われ呼吸は潰え、それでも魔女は絞り出すようにして言葉を紡ぐ。
 けれど、意志が空気を震わせて音になっても、そこから意味は抜け落ち言葉は実を結ばない。
「レミィ私、本当に貴女のことーーー」

 後には虚無だけが残された。

 数ヶ月後。フランドールはようやく氷の柱から解き放たれ(魔女の期待したとおりフランドールの力は著しく弱まっていた)、無限に思えた白夜も終わり、幻想郷に元通りの時間が流れ始める。尤もおよそ二週間続いた白夜に気が付くほど律儀な幻想郷の住人は皆無だった(何しろ幻想郷には時計というものがないから唯一の時刻装置である太陽が狂えば時間という概念そのものが狂う為気付く者は居ない)。それでも唯一異常に気付いていたという怠惰の巫女は「いつも朝がこなけりゃ良いのにって思ってたから、願ったり叶ったりだった。日が昇れば暑くて眠ってられないし、起きてりゃお腹が空くし」と語った。

 一三四九年五月、ペ ストに襲われたロンドンで遺言状作りがピークに達し、シュトラスブルクのユダヤ人が死者のために喪に服していた頃、吹きさらしの「ジャーマン・オーシャン」(北海の旧称)では、泡立つ春の海がペストを北方のスカンディナヴィアへ運んでいた。ノルウェーとスウェーデンに達し、それからロシアの荒野へ戻ることで、黒死病のヨーロッパ巡りはようやく終わりを告げた。

6、朱の吸血鬼レミリア・スカーレット

 私は彼女の遺灰(と言うには些か生だが)を集め。再構成を試みる。それはけして、黄泉返しでも復活でもない。意味を失ってしまった同じ道具・要素を使って全く違う結果を導く魔法だ。いわばレゴブロックである。
 意味消失した骨を筋を、臓器を血を、残らず集めて(過程でフランドールが食べてしまった所為で多少目減りしたが)人型を作り。
 額に誰にも見えない魔法の文字で(罪の印でなく)meth(虚無)と書き入れ(虚無を持つものは生きるものだけだ)、おどろくほど簡単にアンチ・クライマックス的に再構成は簡潔した。
 再構成された者の名前はノーレッジ(自分で勝手に名乗ったとんでもなく厚かましい)。
 ノーレッジは百識の力で石を切り出し、樹木を伐りだして殆ど時計塔を作ってしまった(曰く魔法使いの住処は時計塔と相場が決まっているそうだ)。まったく馬鹿げた力だと思う。それからも増築は延々と続いている。
 白夜が終わって、私は吸血鬼になって、自由に動ける時間は一日の半分以下。一日の半分以上を棺で死んだように(まさに)寝て過ごしている。最近では時計塔を改良して、日の出と日の入りの時間に特別な音色の鐘が鳴っているそうだが、確認したことはない。
 私にとって未だ人生は、意味の分からない推理小説の導入部であり今から張り切る必要はないと思うのだ。



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