アリス・ファーム 代表、 宇土巻子 が綴る食のお話「宇土巻子の食卓日記」
#13 種子を注文する |
冬、菜園は雪に埋もれる。雪の下で植物は寒さをこらえてやがて来る春に備えている。植物にとっては裸のまま寒風にさらされるより雪に埋もれている方がましというもの。冷たい雪は植物を布団みたいにくるんでくれる。
いくら園芸好きでも季節には勝てない。喜びや驚き、怒りや落胆の源であった菜園ともしばしのお別れ。冬は落ち着いて庭の鑑賞ができる唯一の季節であるとチャペックは悔し紛れにいう。
確かに葉を落とした木々と冬でも青々とした針葉樹、足下では草花の葉が地面にへばりつきどん欲に光を吸収しようとがんばる。そんな冬の顔をした庭も静かな趣があるにちがいない。
とはいえ最盛期のそれとは比ぶべくもない。
北海道では菜園も庭も一面の雪野原、その境はおろか周辺を取り囲む林との境界さえ定かではない。道路の除雪で飛ばされた雪が3メートルはつもっているから近づくことさえ難しい。
冬の園芸好きは想像の世界に遊ぶしかない。春になったら・・・・・。思いはふくらむ。
その思いを見透かしたかのように種苗会社は一斉に種子のカタログを送ってくる。きれいな写真満載のカタログは新色のジギタリスがおすすめとか2色の花がきれいな蔓ありインゲンは菜園の装飾に最適とか、去年は品不足だったアイスプラントも今なら早いもの勝ちと緑に飢えた園芸好きの購買意欲を盛んに煽る。
アイスプラントなんてもうたくさんと思っていたのに、早いもの勝ちという文句に慌てる。次第に理性が崩壊していく。
しかし昔はあんなに大量に届いていたカタログも、近年は請求しない限り送られてこない。
種子もネットで販売が主流となってきたからである。国内はもちろん外国の種苗会社にアクセスすることも可能だから日本はもとより世界各国の種子をいながらにして手に入れることができる。本当に便利な世の中になった。
30年前には・・・と苦労話は尽きない。
外国の園芸雑誌を取り寄せる→気になる種苗会社に手紙を書く→運良くカタログが送らてきたら種子を選ぶ。読みづらい手書き文字と不鮮明な写真、下手なイラストを頼りに種子を選んで注文書を送る→運がよければ送金の依頼が来る→郵便局に行って外国送金用の定額郵便為替を作る。場合によっては郵便局の窓口で局員に作成法を指導する→郵便為替を送る→郵便受けをのぞく日々が続く→待てど暮らせど種は届かない。雪は溶け始めたというのに→種苗屋に催促の手紙を書く→夏の盛りに春まきレタスの種がようやく届く。という具合。
これを繰り返して信頼できる種苗屋を探す。
返送用の封筒を入れてカタログを請求しても返事はなかなか来ない。注文書を送っても送金でつまずく。種子を手にするまでの道のりは本当に長かった。
それだけに種子を手にできた時の喜びには格別なものがあった。例え、そこらの種苗屋さんでも入手できそうな種子でもともかくうれしかった。
うって変わって今はパソコンの前に座る→検索する→ほしい種を買い物かごに入れる→指示に従って登録したりカード番号を打ち込んで支払いをする(ここまで30分とかからない→確認メールが来る→種子が届く。
昔の煩雑さを経験しているものにとっては驚きのスピードと正確さ。北海道の僻地に暮らしていても世界中の種子が簡単に手にはいる。
最新の風味抜群料理用トマトだって、ほのかにミントの香りがするオリジナル何とかバジルだって種さえ入手できれば現地とリアルタイムで栽培することができるのである。その種子をまけばイタリアの最先端レストランと同じトマトソースができるかもしれない。
しかし・・・・・。しばらくネット販売に頼っていたのだが、最近になって私はアナログカタログの良さを再認識している。単なるノスタルジアではない。
お手軽ネット販売では熟考、逡巡は許されない。さあどれにする、買うの買わないの、迷いは禁物、時間の無駄、さっさと買いなさいとピカピカの画面はカスタマーをせき立てるのである。
雪解けの菜園に思いを馳せて、ここには蔓ありインゲンを植えよう、いや待てよ、そうすると周辺が日陰になるから丈の低いエンドウ豆にしようか。いっそトマトとバジルのエリアにするというのもあるなー。久しぶりに黄色や橙色のカレンジュラも植えてみようかなといった想像の世界に遊ばせてはくれない。
カタログだとページを行きつ戻りつしながらほしい種に○をつけ、そのページに付箋を貼り、注文書を書く。書きながらまた迷い、付箋のページに戻りという具合に○をつけたり消したりしているうちに頭の中に菜園ができあがっていく。
しかしネットでの購入にはそういう楽しみがない。行きつ戻りつという余裕がないのである。
買い物かごで数量を変更したり取り消したり、お買い物候補に入れておくこともできる。でもそういった操作上の問題ではなく、気持ちがどうしても先走ってしまうのである。
カタログ販売が魚屋、八百屋のような昔ながらの対面販売だとするとネットはスパーマーケット、かごに放り込んでレジで支払いする。
スーパーマーケットでの買い物は魚屋のおじさんや八百屋のおかみさんと話をしながら献立を決めて行くような楽しみは得られない。
「今日はいい太刀魚が入ったよ」とおじさんにと言われて、予定したハンバーグが太刀魚の塩焼きに変更ということはない。ハンバーグといったん決めたらハンバーグなのである。
母は毎日買い物かごをぶら下げて商店街に出かけ、なじみの魚屋さんや肉屋さんのお勧めを聞きながら献立を考えていたようだ。
素直に従うものだからいつも山のような荷物を抱えて帰ってきた。
それで久々にカタログを請求することにした。大手の種苗屋は請求すれば一応カタログ送付もしてくれる。
カタログが届いた。しかしどのカタログもいやに薄い。昔はあんなに厚かったのにのかつての半分もない。
それにネットカタログにのっていた魅力的な種子がアナログカタログには見当たらない。
アナログカタログにはお座なりな感じが漂っている。
「できればネットで注文してくださいね」という種苗屋さんの気持ちが透けてみえる。
簡単に種子が入手できるネット販売を利用するか、じっくりと選べる冊子カタログ販売を利用するか。アナログ時代の苦労を味わっている私ら旧世代はネットの便利さに過剰に反応してしまう。便利な道具を手に入れて平静になれずネットに頼ってしまうのだろう。
新世代なら両方を使い分ければいいじゃんと真っ当なことをサラリと言うに違いない。
貧弱になったカタログでもいい。すっかりご無沙汰していたカタログ集めを再開した。
私が海外の種子集めに熱中していたころ、最も対応がしっかりしていたのはイタリアはミラノの種苗屋さんだった。イタリアだからなー、たぶんいい加減なんだろうなと期待はしていなかったのだが、私の手紙に丁寧に返事をくれたし、注文した種も間違いなく送ってくれた。
それにこの種苗屋さんでは1袋に入っている種の量がものすごく多かった。
一般の種苗店なら数粒なんてこともあるのにここは新種の種だって袋にパンパンに詰まっている。
袋のデザインはどれも同じ、クラフト紙の袋に店のロゴと種捲く人のイラストが印刷してある。美しいカラー写真や栽培のアドバイスなどはいっさいなし。
野菜の種類を示すゴム印と有効年月日が押してある。
種の量が多いせいか有効年月日も長い。ふつうは1年なのに3年位は保証つきなのである。
その無愛想な種袋は油紙に包まれて届く。10袋くらいずつ丁寧に油紙に包まれている。
当時だって死滅しかけている懐かしの油紙。ビニール袋にとって代わられたのはずいぶん昔のことだ。
油紙には種袋と同じロゴが印刷されていた。
種袋といい油紙といいそのレトロ感が何とも好ましかった。きっと店の主人は昔気質の頑固ものなのだろう。
しかしネット販売を利用するようになってからはその種苗屋さんから種を買うこともなくなった。
その種苗屋さんはミラノにあった。ミラノに行く機会があったので住所を頼りに探してみることにした。
静かな住宅街、確かにこのあたりなのに店は見つからない。
諦めかけた時、古びた煉瓦作りの門に気づいた。冬の日、枯れたツタが絡みついたアーチ型の門。ここしかないと思い、思い切って門をくぐった。
門をはいると意外と広い中庭のようなスペースがありそれを囲むように住宅が並んでいた。
中庭をぐるりと回ってみた。その中の一軒、閉じられた木製のドアに張り紙をみつけた。
おなじみのロゴの入ったレターペーパーには「移転しました」と書かれていた。
その下に移転先とおぼしき住所も記されていた。
ここからあの種はやってきたのか。はるばる日本の北のはずれまで。たぶんミラノ近郊の畑で採取した種を袋詰めしていたのだろう。
「日本から注文がきたぞ。日本てどこだ?面倒だな、小口だし」
「兄弟よ、そんなことを言ってはいけないよ。いくら面倒でも客は客、大切にしなくては。日本と我が祖国イタリアは昔は同盟国だったしな・・・・」
というような会話が交わされたのかどうか、その種苗屋さんの屋号は何とか兄弟社だった。
冬の日、覚えるくらいにカタログを眺め、菜園に思いを馳せ、私を種の世界に遊ばせてくれたあの種苗屋さんは確かに存在したのである。
イタリアにある種屋さんという抽象的な存在が急に確とした存在となった。なんだか夢のような体験だった。
ミラノの町は、陽が傾きかけていた。閉じられた扉に向かって「グラツェ」と感謝の言葉をつぶやいていた。
またあの種苗屋さんにカタログを請求してみよう。移転してしまったから手紙が届くかどうかわからないけどとにかく手紙を出てみよう。律儀な兄弟だから何とかしてくれるかもしれない。
情報の入手が難しかったあの頃だからこそこのイタリアの種苗屋さんに出会えたのだろう。
情報がリアルタイムで世界中を駆け巡る昨今、こういう秘密めいた喜びは許されないんだろうな。
#14 野菜の花 ヨーロッパ人は中国からどのような品物を望むんでした |
菜園でひときわ目立つのはオクラ。オクラはハイビスカスの仲間、花弁は薄紙のように柔らかで淡いクリーム色をしている。ひらひらと風を受ける花の花芯はエビ茶色。そのコントラストが異国的な感じを醸す。
サヤが女性の指サイズであることからかオクラはレディスフィンガーと呼ばれている。その細っそりとした慎ましい実とは不釣り合いな大振りな花だ。しかし実も放っておけば大きな花に見合ったたくましいアームに成長するのだろうが。
菜園のそこだけ南国の風が吹いている。花が赤なら蝶がたくさん集まってくるのにと時々残念に思う。
じゃがいもの花もいい。淡いピンクの男爵、白地にヘリオトロープ色の絞りを散らしたメイクィーンの花は特に美しい。
「馬鈴薯のうす紫の花に降る雨を思えり都会の雨に」
通学途中、一面に開花したジャガイモの畑を見て中学生の仁木がつぶやいた。都会で北海道を懐かしむ啄木の歌だ。
30年近く前のことだ。北海道移転を決めて候補地巡りをしていた時に偶然通りかかったマッカリヌプリの麓に広がる畑は馬鈴薯の花盛りだった。
車を止めて畑の中に入った。目にはいるものといえばジャガイモの花、花、花。畑に初夏の風が吹く。花は一斉に波打ち、目の前には見事な大海原が広がった。
花のほかには青空と子供が描いたように聳えるマッカリヌプリだけ。
それは狭苦しい本州の山間の村に暮らしていた私たちには衝撃的な光景だった。広大で単純でおおらかなその風景が手招きして私たちを北海道へと誘った。 なすの花は深い紫が美しい。花からも枝からも実からも紫の色素が滲み出す。成長が始まると堰を切ったように紫が溢れでる。同じ紫の花でも庭に咲く鑑賞用の花にはない作物としての生命を感じさせる花だ。
タイ料理によく使われる白いなすの花は白。やっぱり紫のなすの方が力強くていい。
ズッキーニやカボチャは黄金色の大振りな花を咲かせる。ラッパ型の花は、時にはリコッタチーズなどを詰め込まれてフリットとして供されることもある。
花を眺めているとこの花にしてあの実といった深い結びつきが感じられる。土着的というか天衣無縫というか、何だかかなわないなーという気がしてくる。
総じて豆科の花は可憐で美しい。豌豆の花はスィートピー。蝶型の花弁はその可憐さに少しも気づかないアジアの田舎娘の如き純朴さがいい。
支柱にツルを絡ませてぐんぐん伸びる花豆は実よりも、密度濃く茂る葉を目的に栽培している。円錐形の緑の壁、見え隠れする赤や白の花、変化に乏しい菜園ではひときわ異彩を放っている。
菜園には日陰を作る樹木を植えるのは難しから花豆の壁は樹木の代役にちょうどいい。
咲かせてしまったチコリの青い花、ブロッコリーの黄色い花、キャベツは結球した葉を打ち破って黄色い花を咲かせる。そういう怠惰の証はす早く隠滅したいけどいつも咲くままにしてる。蝶も来るしね。
個性豊かな菜園の花々の中でも私が特に好きなのは空豆とルッコラとシナモンバジルの花だ。
空豆は天に向かって莢をつけるから空豆というらしい。どうして重力に逆らうような真似をするのだろう。実は充実すると莢は天を目指す。
かつては初夏のわずかな期間しか空豆を味わうことはできなかった。
その時期がくると夕餉の食卓には毎晩のように茹でた空豆を入れた鉢が乗った。今しかない、1年分の空豆を集中して食べようとする意気込みのようなものがそこにはあった。
空豆の莢をむくのは子供の仕事、夕方になると言いつけられて莢をむいた。莢の内側は真っ白くて綿のようにフカフカで豆の形に凹んでいる。豆はおくるみにくるまれた赤ん坊のように大切に守られている。
春先に出廻る豌豆をむくのも子供の仕事、インゲンの筋をとるのも、枝豆を茎からはずすのもこどもの仕事だった。
空豆は美味しい。最近では村でも空豆を栽培する農家が増えてきた。空豆は鮮度が大切、新鮮な豆はエメラルドの色も鮮やかで柔らかくて素直な味がする。少し若採りの新鮮な空豆がいい。
収穫してから時間がたった豆は、堅いし色もくすんでいるし、瑞々しさがない。
近所の農家から出荷できない空豆を時々分けてもらう。といっても段ボールにいっぱい分はあるから食べきれない分は茹でて冷凍していた。しかし生豆のまま冷凍した方が美味しいよと生産者に教えてもらった。なるほど冷凍生豆の方が風味がずっといい。
茹でて皮をとってピュレにする。生クリームと塩、白胡椒を加えた濃厚なピュレは冷たくして前菜にいい。
ミントの香りを足すと美味しいと思うけど試したことはない。
空豆のピュレは、アスパラ、グリーンピースのピュレと並んでベスト3に入る。
薄皮つきをフリットにしてもいい。ピュレをグリルした白身魚や鶏肉のソースにしても美味しい。
莢付きのままオーブンで焼くのもいい。
でもやはりとりたて茹でたての空豆にはかなわない気がする。
そういえば、油で揚げた茶色の皮付き空豆がビールのお供として活躍していた時代もあったが、今でも健在なのだろうか。形は空豆でもやたらと固くて空豆の味はしなかった。
同じ系統のマメに真っ白な塩マメというのもあった。あれは豌豆なのか大豆なのか、やはり固くて不思議な食物だった。
きっと昔はああいう固いものを食べていたから顎も歯も鍛えられたのだろう。ホワホワとかとろけるがキーワードになるような昨今、若年層にはとても受け入れられそうにない。
北海道では空豆はあまり一般的ではない。少し前までは本州から運ばれてきた空豆しか手に入らなかった。空豆好きの私はちょっとくたびれた豆でも買ってしまうのだが、がっかりさせられることが多かった。
あるとき、大きく膨らんだ花豆の緑の莢を摘んでみた。いつもは枯れるままにして豆を乾燥させて保存していた。
まだ、若い豆を取り出して茹でると、空豆に近い食感と風味、偶然とはいえうれしい発見だった。十分に熟す前に収穫すれば、花豆も空豆のように食べられるのか。
しかし若い豆には野鳥や虫を寄せ付けないように青酸のような毒をもつものもあると聞く。
野菜の本を開いても、料理の本をあけても若い花豆が食べられるという記述は見あたらない。
こんなに美味しいのに。
そんなことは常識だから誰も言わないし誰も食べないのかもしれない。
こわごわ、少量ずつ食べていたが結局何ともなかったところを見ると食べても害はないらしい。
インゲンはサヤ、若いマメ、サヤが枯れて、十分に成熟したものを乾燥させたマメと成長過程のいろいろなステージを楽しめるのがいい。
空豆の花は蝶の羽を思わせる軽い純白の花弁に濃いえんじ色の線が浮かんでいる。その線はえんじ色の花芯部からじわっと染み出たように滲んでいる。
上等な和紙にエンジ色の炭でスッと線をひいたような感じ。かつては色合いのせいか不吉な花、死者の花とされていたようだ。
でもこの花の白と黒のコントラストはほかの花には見られない。清潔で簡素で潔くて何ともいえなくいい。
ルッコラの花はアブラナ科特有の十文字の花弁をもつ。はかなげな白い花弁、赤紫色の細い線が中心部に向かって延びる地味な花だが、都会的な雰囲気をもつ洗練された花だと思う。花が咲くまで放っておくと葉は苦くて食べられないからルッコラを栽培していても花は知らないという勤勉な人がいるかもしれない。しかし葉は犠牲にしてもルッコラの花は鑑賞する価値があると思う。
ルッコラの花を見るといつもポストモダンという語句が浮かんでくる。
シナモンバジルはピンクの小花をたくさんつける。艶やかな緑の葉に紫色の葉脈が鮮やかな葉も美しいけど可憐な紫蘇科の花は小さいながらその存在をくっきりと主張している。シナモンバジルは切り花として栽培してもいいくらいに美しい。
ハーブの花には切り花にしてもいいような美しい花が多いけど、どうも花の美しさと実用性は反比例するようだ。ベルガモットの花は華やかできれいだけど葉はあまり使い道がない。可憐なボリッジもそうだ。
その点、葉も使えるし、花もきれいなシナモンバジルは好感がもてる。
ミツバチやマルハナバチや蝶はタイムやアニスヒソップなど地味な集合花を好む。集合花の方が大輪の花より効率よく蜜を集めることができるのだろう。
地を這うようなタイムの花に大きなマルハナバチがぶら下がっている光景を眺めていると心が和む。
私は菜園も庭の一部とみなしているから花の具合も考えて野菜やハーブを栽培する。だから葉菜も果菜も根菜も栽培する。単一の作物だったらどんなに味気ないことか。
以前は菜園でデルフィニュームやベロニカも栽培していたが、宿根草は厄介なのでやめにした。
その後は一年草の花をいろいろ植えてみたが、ある時、菜園には菜園にふさわしい花があることに気がついた。
ナスタチューム、マリーゴールド、カレンジュラ、ジニアあたりがふさわしい。どれも洗練とはほど遠い野暮ったい花だ。菜園には気取った花、都会的な花よりもこういう庶民的な花がよく似合う。
赤やオレンジ、黄色の花は菜園に降る陽光を受け止めて輝き、屈託なく輝いて菜園を活気づける。何より頑強なのがいい。
いろんな野菜とラスティックな花花、菜園の美は有用がもたらす健全な美しさにあると思う。
#15 がんばれナーベラー |
ツルムラサキなら野田さん、バジルの苗は梅津さん、ゴーヤは白戸さん、パプリカなら原さんとお気に入りの直売所が決まっている。なかなかドロームにたどり着けない。
石垣島に行ってもつい野菜の直売所巡りをしてしまう。北海道とは並んでいる野菜も違うし、風景が違う。そこに漂う季節感も違うから楽しい。近所の農家が持ち寄った野菜や加工品を並べた市場のような規模の直売所から壊れかけた小屋に野菜をパラパラと並べた投げやりな感じの直売所までさまざま。
その佇まいは様々だが、どこの直売所でも青菜類の束がやけに大きい。水菜でもハンダマでも本州のそれに比べるとゆうに三倍はある。
生産者が気前いいのか、大家族が多いからなのか。それとも加熱して食べると量が減るからなのか。
たいして日持ちしない青菜を大量に摂取する術があるのだろう。
トマトだってタンカンだって、豌豆だってインゲンだってビニール袋にギュウギュウに詰まっている。
この地で生活しているわけではないけどその量の多さがうれしい。
沖縄の人が本州で暮らしたらさぞ困るだろうなと心配してしまう。
旅先で野菜を購入してもどうしようもないのは分かっている。とはいえなにも買わずに済ますわけにはいかないからまず保存のできそうなものを選ぶ。
味噌とかゴーヤピクルスの瓶詰めとか、乾燥ウコンとかグァバ茶とか。しかしその内に抑制が効かなくなってくる。
生野菜でもがんばれば持って帰れるかもしれない、という希望が頭をもたげる。
こうなったらもうダメ、勧められるままに買ってしまう。この地を離れたら当分はハンダマは食べられないからなー、つい手にとってしまう。運ばれる途中でシナシナになってしまった大量のハンダマを手にして後悔する。それでも毎回同じことを繰り返してしまう。
春は島らっきょうが出回る。友人の田代さんは方々の直売所を巡り、知人に声をかけて質のよい島らっきょうを探す。そのお裾分けが先日届いた。
どのように刑務所の腕立て伏せに島らっきょうはエシャロットみたいなものだ。エシャロットの代用に料理にも使うけど量が量だからとても使いきれない。保存する。基本はピクルス、らっきょう漬けにする。
茎をナイフで切り落とす。ついでに薄皮をむく。根を切り落とす。1個につきこれだけ手間がかかる。
ナイフを握る手の感覚が次第になくなってくる。手を休めてどれだけできたかな、処理済みと未処理の島らっきょうを見比べる。気が遠くなる。
こういう地道な作業で大切なのは比較をしないということだ。前だけを見つめる。成果だけを気にかける。気がつくと終わっていたというのがいいのである。
今年も大きなボールに3個分ほどあった。真っ白なボールに山盛りの処理済み島らっきょう、達成感で満たされる。
これを1晩塩漬けする。翌日、瓶にらっきょうをギュウギュウに詰る。沸騰させたつけ汁を注ぐ。
基本は酢と砂糖、塩、スパイス。酢をワインビネガーやリンゴ酢にしたり、砂糖を蜂蜜に変えたりして変化をつける。そしてスパイスを加える。1)島唐辛子+潰した黒胡椒 2)島唐辛子+黒胡椒+ピクリングスパイス(ベイリーフ、粒マスタード、クローブ) 3)島唐辛子+シークワーサーの葉っぱ+ビパチ(石垣特産の胡椒) 4)手元にあるスパイスいろいろ(カレー粉のよう) 5)島唐辛子+カシスの黒酢。思いつくままに変えてみる。
結局はどれがどれか分からなくなるのだけれど黄金比率みたいな組み合わせがその内、見つかるかもしれない。2週間ぐらいして食べ始める。
ホテルドロームでも鹿肉のパテなどに添える。味もさることながら格好の話題づくりとなる。
東京でも日除けを兼ねて軒先に支柱を組んでへちまを這わせている家もあった。
私たちにとってへちまとはそういうもの。少なくとも食物ではなかった。
しかし沖縄ではナーベラーと呼んで若いへちまを食べる。
へちまというのは「とううり」が縮まって「とうり」となりいろはでは「と」はいろは順では「へ」と「ち」の間にあるからへちまと呼ばれるようになったそうだ(ウィキペディアの受け売り)何ともふざけたネーミングではないか?これを江戸の粋というべきか。
沖縄でいうナーベラーは「鍋洗い」が転じたものだという。まあどっちもどっち、あまり尊敬されている野菜とは言いがたい。
そしてあの苦み、ほろ苦いとかえぐいというのではストレートに苦い。野草を煎じたような苦み。
コーヒーも苦みがある。しかしコーヒーの苦みは香りや味と一体化した調和のとれた苦さだろう。高度で複雑な苦み。しかしゴーヤーはただ苦い。瓜科の野菜であるゴーヤには香りや風味というようなものがあまりないから苦みが際だつのだらろう。
ズッキーニにしてもキュウリにしても瓜科の野菜は味が薄い。水っぽくて存在感がない。そんな瓜科の野菜にあってひとりゴーヤは異彩を放っている。
ナーベラーもゴーヤと同じ瓜科の野菜。まずゴーヤの表面からイボイボを取り除いてつるんとさせる。次にゴーヤから苦みをのぞく。
するとゴーヤはナーベラーになる。
つまりゴーヤを無個性にするとナーベラーになる。
これまでズッキーニこそが最強の無個性野菜であると信じていた。しかしここにナーベラーという強敵が現れた。
このナーベラーはどうやって食べるのだろうか?どう調理すれば美味しく食べられるのだろうか?
沖縄では味噌いため煮で食べることが多い。味噌味のチャンプルー。皮をむいて大きめに切ったナーベラーを鍋にいれる。油で炒めてもいい。ふたをして中火で煮る。するとナーベラーから水分がしみ出てくる。水分が十分に出たら、塩、味噌、などで味をつける。角切りの島豆腐を加えて煮込む。
これが一番一般的な「ンブスーナーベラー」。ナーベラーの水分だけで調理するのが基本。ナーベラーが少ないときには呼び水程度に酒を振る。ナーベラーから出る液は甘みがあって美味しいという。
ご飯にかけて食べることもあったとタクシーの運転手さんが教えてくれた。へちま水をご飯にかけるようなもの?
味付けには宮古味噌を使うことが多いが各地の味噌をブレンドするとその家庭その店特有の味を出すことができる。
石垣市内の料理屋さんで「ンプスー・ナーベラー」を食べさせてもらった。つるんとした優しい食感がいいのだろうか。滋味といえば言えないこともないが、味はほとんどなく味噌の味しかしない。同じく味噌炒めでよく食べるなすのような気迫がえられない。なすは味噌炒めなら任しといてといった自信にあふれている。決して裏切らない美味。
ここが瓜科の野菜となす科の野菜の実力の違いかもしれない。
ナーベラーは頼りない。限りなく頼りない。沖縄料理の味付けの基本は出汁と塩、しかし影の薄いナーベラーを美味しく食べるには味噌の力も必要なのだろう。
京都あたりでやりそうなことだが、出汁で煮含めてアンをかけるみたいな料理、えびしんじょのようなものをはさんで揚げるとか工夫しだいでは価値を高めることができるかもしれない。
でもナーベラーはそんな手をかけずに素朴なままの方がいい。なにしろヘチマ、塩だけじゃもの足りないから味噌も足すかという程度の扱いがちょうどいい。
3年に1度くらい食べたくなるおかず位が適当な位置かもしれない。
日除け、ヘチマ水、アカスリそしてンプスーナーベラー。一人三役、四役というのもスゴい。
しかも活躍する場所が軒先、風呂場、鏡台、台所とそれぞれに違うところもスゴい。
ズッキーニにはとてもこんな真似はできない。
瓜科の野菜の一番の強みは栽培が容易で多産なところにあるのだろう。よほどのことがない限りいくらでも実る。決して期待を裏切らない。
ほかの野菜が全滅しても瓜科野菜はがんばるのである。
なす科の野菜は料理に対する貢献度がきわめて高い。なすを初めとしてトマトやジャガイモもなす科の野菜、トマトがなければイタリア料理は成り立たないし、ジャガイモがなかったら超高級レストランから一般家庭に至るまで世界中が困る。
確かになす科の野菜に対する依存度は高い。野菜の中では一番だろう。
しかしなすもトマトもジャガイモも栽培が難しい。けっこう気むずかしいのである。連作はできないし、気候に敏感に反応する。
人間が有用であると認める→世界中に栽培が広がる→気候に併せて無理して栽培するので病気や害虫に弱くなる→栽培が難しい。
毎年毎年新しい種類のトマトが開発されて栽培されている。少し前は桃太郎やキャロル7が全盛だったのに、今はアイコが人気。糖度は上がり続け、フルーツのようなトマトがもてはやされる。
そこへ行くと新種のへちまなんて聞いたことない。
隼人ウリとか冬瓜などのウリ類は東日本から北の地域ではもはや絶滅危惧種となっているのではないか。
元気なウリ科野菜といえばカボチャくらいなものだろう。
ゴーヤはその押しの強さで全国区の地位を不動のものにしたがナーベラーにはそういうパワーはない。全国区どころかそのうちヤンバルクイナや西表ヤマネコ並の存在になってしまうかもしれない。
ヘチマ水が化粧台から姿を消したように、お風呂場ではへちまが化学繊維のごわごわタオルにとって代わられたように、軒先の日除けがエアコンの普及で見向きもされなくなったように、そのうちナーベラーも食物界から姿を消してしまうのだろうか?
それとも青椒牛肉絲の一般家庭への浸透により子供の敵だったピーマンが復活したように、スパゲッティーボンゴレの登場でアサリが味噌汁の実から脱却したようにナーベラーも突然脚光を浴びる日が来るのだろうか?
#16 韓国の食 あなたが18歳未満と結婚できる状態 |
韓国は近い。韓国は隣の国だから食も日本のそれに近いのだろうと思っていた。
しかし実際に行ってみると食に関しては日本と韓国の間には地球の表と裏ほどの距離があることに気づいた。
地球の裏側にある国の食生活が異なるのは当然としても、隣同士なのにこれほど違うのは心構えができていなかっただけに衝撃的だった。
韓国は正統的な肉食の国だったのである。
韓国といえば焼き肉やホルモン。だから肉食が盛んな国という程度の認識はあったけど、東アジアのはずれにある両国の食生活にそれほどの違いはないと思っていた。
日本が魚を比較的たくさん食べるのに対して、韓国は肉をたくさん食べるといった程度の違いではないか。
しかし、かの地の肉食はそんな生やさしいものではなく騎馬民族や牧畜民のような正統的かつ本格的な肉食だったのである。
食べる肉の量は日本と韓国ではそれほど変わらないかもしれないが、その内容には雲泥の差がある。 ソウル郊外にある数件の市場を訪ねる機会があった。
乾物がぎっしりの市場、肉専門の市場、ジャンや塩辛、おかず類の市場、唐辛子がこれでもかとばかりに並んだ市場というように扱うものがある程度決まっている市場と食品から服、雑貨まで何でも扱う総合市場がある。
観光客のよく行く市場はたいてい後者でここにいけばほとんどものが揃う。
今回は食のプロが案内してくれたから専門的な市場に行くことが多かった。
そのひとつ、温泉の帰りに寄ったスンデ市場は活気みなぎる肉専門市場だった。
スンデというのは腸詰めの一種。豚の大腸にもち米と野菜、豚の血、春雨を詰めて蒸したソーセージのようなものだ。
韓国版ブータンノワールといったところ、酒の肴やおかずとして食べる。
たとえ詰めるのが肉ではなくもち米であっても腸に詰めるという発想は日本にはまずない。
豚の血も加わるとなるとスンデは日本人にはかなり異国度の高い食物だろう。
スンデは美味というより、なるほどといった味。パクさんの両親は春雨を入れる入れないで論争していた。緑豆から作る春雨は高価なもち米の増量材として使われていたという。
スンデ市場といってもスンデ専門というわけではなく、様々な肉塊と一緒にスンデの材料となる腸、豚や牛の血が店先に並んでいた。
腸は大きなタライの水に浮かんでいる。腸だけではなく詰め物容器となる透明な内臓が浮かんでいる。肉食の達人たちはい長いの、短いの、太いの、細いの、丸いのとそれぞれに使い分けるのだろう。
豚や牛の血はポリバケツの中、ひしゃげた杓子が無造作に放り込んであった。
隣のたらいの中には豚の顔皮が何枚も積まれている。
スンデそのものよりスンデの材料を扱つ市場。家内工業的加工業者が買っていくのだろうか。
スンデは近代的なデパ地下でも売っていたし、スーパーでは売場で蒸しあげた出来立てあつあつのスンデが飛ぶように売れていた。
山と積まれた豚足の煮物をおばさんたちが大量に買っていく。
おかずにするのだろうか、1本2本ではなく山盛りを1皿2皿の単位なのである。
韓国の豚足は日本のようにつま先だけではなくすねの方までつながっているのでボリューム満点、1本で十分満足できる量の肉がついている。
豚足を食べる。スンデを肴にマッコリを飲む。〆にはワカメスープ。これも牛肉と煮干しで出汁をとる。
毎日、こんな風に肉ばかり食べているわけではないだろうが、でも食の中心は肉なのである。
日本と韓国は隣同士だし日本に徹底的に侵略されてきたのに何故、韓国は日本とちがって本格的な肉食の国になったのだろう。
砂漠の方から?家畜というものが入ってくると、それはまず、農村でハレの日のご馳走として1頭2頭の単位で自家用に飼育される。
昔は流通が未発達だし、冷蔵や冷凍など保存の技術がないから畜肉は商品として流通しにくい。
商品として流通が難しければ、家畜は自家用の域にとどまざるをえない。自家用となれば頭から骨、内臓から皮まで余すところなく利用するだろう。肉だけ食べてその他の部分は捨てるというような勿体ないことはしない。
料理したり保存したり、ともかくすべてを食べ尽くす。時間を経ると1頭丸ごと食べ尽くすという技術が発達し伝承されていく。
時代が進むと畜肉は自家消費という枠を超えて製品として流通するようになる。家畜の飼育は農家の副業から次第に独立し生業としての飼育が行われようになる。
経済的な発展と畜肉の消費量は多分比例するのだろう。豊かになれば肉の消費量が増える。
かつては豚やウシを飼育して解体し自家用、あるいはご隣近所で消費していた農民も製品としての肉を買うようになる。
しかし、自家用飼育の長い時代を経験している農民は1頭丸ごとの食べ方をしっかり受け継いでいる。
市場に内臓や頭が並んでいれば、肉塊と一緒に自然にそれを購入する。肉同様、内臓の美味さを知っている。
一方、沖縄ののぞく日本では明治時代に食肉が解禁されたものの自家用に家畜を飼うということはあまりなかったのではないか?
人口の大多数を占める一般の農民は丸ごと1頭を食べきるという経験をする機会ははあまりなかったし、少なくとも丸ごと食べる技術が伝承されることはなかったのではないか?
射止めた猪や鹿や熊を食べることはあってもそれはごく限られた体験だったと思う。
とはいえ日本でも肉食のタブーも薄れ、経済発展とともに肉食が盛んになる。盛んになれば職業としての家畜を飼育する農家も増えてくる。
つまり沖縄を除く日本では肉は自家消費の時代を経ずしていきなり製品として普及したのではないか?内臓や頭は製品化しづらいし、消費する側だって内臓の食べ方なんて分からないから、肉以外の部分はほうるもん、ホルモンとして処理されてしまったのではないか?
日本人にとって肉というのは、初めから解体され部位に分けられ、スライスされて店先に並ぶものだったのではないか?
沖縄では豚や山羊を自家消費用に飼育している期間が長かった。それは肉食タブーから比較的早くに解放されたということもあるし、経済的な発展が遅れて肉が製品化されて流通するのが遅れたという両面がある。
だから沖縄には1頭丸ごとの習慣が根づいているのだと思う。
多分自家消費用に飼育する期間が長かった韓国や沖縄では1頭丸ごとの肉食文化が育ち、肉食タブーが強く、経済発展が早かった日本では1頭丸ごとの肉食文化が育たなかったのではないかと思う。
●キムチは健在
そしてもうひとつ国を代表するのがキムチ。
夏だったからパクさん宅の庭先にたくさん置かれたカメの中はほとんど空だった。
暖かくなるとキムチはキムチ専用冷蔵庫に保管しておくという。
夏には冬に漬けて酸っぱくなったキムチは料理に使い、キュウリや大根の浅漬けのようなキムチを食べるらしい。
このキムチはチゲ用、これはおかずというように同じように見えるキムチでも使い分けていた。
日本の白菜漬けのようにキムチを漬けるのも初冬、白菜や大根が大量に出回る季節。
この季節は材料が豊富なこともあるがゆっくりとした発酵にちょうどいい気候なのだろう。
白菜の葉っぱの間に塩辛や果物、唐辛子やニンニクを丁寧にはさみ込んだおなじみのキムチ、季節の初めに食べるキムチは生のエビやイカ、小魚をはさみ込むらしい。生素材の生臭さを消すために大量の唐辛子とニンニクを使う。これは季節限定の馳走キムチ。
中身を挟まないで塩と唐辛子、ニンニクで白菜をつけたシンプルなキムチ、大根のカクテキ、カクテキというというのは大根の切り方をいうらしい。
家庭でもいろいろな種類のキムチを漬けるし、市場に行けばたくさんの種類のキムチが並んでいる。食堂でも小皿に乗せたキムチがこれでもかとばかりにズラリと並ぶ。
キムチは日本の漬け物という域を遙かに越えた韓国料理には不可欠な保存食なのである。
おかずとしてご飯に添えるほか、鍋料理や炒めもの、チゲやスープにも欠かせない。
日本では漬け物を漬ける家庭が激減しているが、韓国では今でも一般家庭でふつうにキムチを漬ける。
初冬の休日、家族の絆が強い韓国では一族郎党が集まって祭りのようにしてキムチを漬ける。
ソウルで働いている娘も大学に通う息子も田舎の実家に戻ってくる。キムチ作りは初冬の大切な行事らしい。
パクさんの両親の庭先にはキムチ作りの時に食べる牛骨スープを煮る専用のカマドと大きな鍋がしつらえてあった。
この日は子供や孫はもちろん韓国各地から親類が集い、酒を酌み交わす一大イベントなのだという。
韓国ではキムチはそういう存在なのである。一言でキムチといってもその種類、利用方法は国民食にふさわしい多様性と広がりをもっている。
もうひとつ韓国料理には大豆を発酵させたコチジャン、カンジャン、テンジャンの欠かせない。
おなじみのコチジャンは唐辛子を大量に使う。市場には粗挽き、細挽きといろんな挽き方の唐辛子粉が並んでいる。コチジャン用には細かく挽いた唐辛子粉を使う。
テンジャンは日本の味噌、チゲには欠かせない。カンジャンは醤油。
これらを専門に製造している製造所にも連れていってもらったが、大量のカメが整然と並ぶさまは圧巻だった。
韓国のテンジャンやカンジャンは米麹や麦麹を使う日本のめんどくさい味噌、醤油と違い、自然界に浮遊するカビを利用して作る。
味噌玉を軒先にぶら下げて自然に麹菌が付着するのを待つ。温度や湿度を気にしながら麹を出す必要がないから日本の味噌醤油ほど手がかからない。
日本の醤油や味噌は面倒だから早くに一般家庭を離れて専門職として独立したのだろう。
テンジャンは味噌玉で作るし、カンジャンはその副産物のようなものだから、韓国では今でも手作りする家庭が多いらしい。
カンジャンは日に当てる必要があるからカメの蓋をあけたり閉めたりがするのが主婦の大切な仕事、最近、透明で通気性のよい専用の蓋が開発されて大助かりとういう。そこまで伝統的なカンジャン作りは家庭に浸透しているらしい。
肉や野菜を焼くにしても煮るにしての決め手はヤンニョム。ネギやニンニク、コチジャンを肉にギシギシともみこんだり、タレに加えたり、添え物というより味の要といった感じで使われる。
ヤンニョムを肉にまぶすのではなくゴシゴシともみこむ。ビビンバもそうだが韓国では徹底に混ぜ、徹底的にもみこむ。食堂でも丼の具をご飯にこれでもかとばかりに徹底して混ぜている人が多い。
なるほど上品にちょっと混ぜるのではなく親の仇のごとく混ぜると丼には新しい世界が出現する。見かけはよくないけどおいしい。
ヤンニョムは多分、韓国の肉食文化とともに発展してきたのだろう。
韓国料理の風味を特徴づけるニンニクも唐辛子も肉食ならではの素材。世界中の肉食地域ではニンニクや唐辛子、香辛料が大量に使われている。味に変化をつけるのはもちろん、肉の匂いを消したり、肉の保存にも役立つ。
日本では唐辛子やニンニクをあまり使わないのは菜食と魚食が中心だったからだろう。
韓国では出汁も牛肉と煮干し、ニンニク、ショウガ、ネギを加えてグツグツ煮出す。この万能だしはスープの元になるほかでチヂミの粉に加えて味に深みをを出すのにも使われる。
興味深かったのが大根、韓国では出汁をとるのに大根がよく使う。ちょうど日本の干し椎茸の感じ。
韓国では大根を実によく食べる。
干鱈を煮込んだスープにも大根、太刀魚のチゲにも大振りな大根、韓国独特の太くて短い大根は市場の店先に山と積まれていてまさに野菜の主役として君臨していた。
そういう肉食の国、韓国ではあるが今回、肉はほとんど食べなかった。カルビもホルモンもプルコギも豚足の煮物も白濁したコムタンスープも一切食べなかった。
案内してくれたパクさんがほとんどベジタリアンだったからだ。ソウル郊外にある(札幌と赤井川村位の距離)彼女のすばらしくモダンな家のキッチンで連日韓国料理の個人講習を受けた。
彼女の妹さんも加わって、講師2人に生徒一人の贅沢な講習会。
おなじみのナムルやチヂミ、ワカメのスープ、テンジャンチゲなど伝統的な韓国の家庭料理。ヤムニョムの使い方、キムチの使い分けなどなど。
菜食中心でも韓国料理が十分に堪能できた。
ご飯にナムル、コチジャンを添えてサンチェで巻いて食べるとしみじみと美味しい。
ごはんにナムルを乗せて教えられた通りによくよくかき混ぜてコチジャンと生卵も一緒にかき混ぜるとビビンバもナムルとご飯とはまったく別物に生まれ変わっていた。
巻く、混ぜるという行為がこんなにも食事を楽しく美味しくしてくれるものなのか。
混ぜる、徹底的に混ぜる、これも韓国の食を特徴づける重要な要素ではないか?
日本の丼物もおかずとご飯を一体化させて新しい味を生み出した傑作だと思う。
天ぷらに天つゆをつけてご飯と一緒に食べるのと.ご飯の上に天ぷらを乗せてタレをかけて食べるのとでは内容は同じでも別物のように感じる。
親子丼やカツ丼はもう一工夫あって卵でとじた具材を乗せる。もうこれはまるで別物、さっと煮た鶏肉と卵とタマネギをおかずにご飯を食べてもあまり魅力的ではない。
韓国の食卓に日本の丼が登場したとしよう。韓国の人は必ず上に乗った具とご飯を徹底的にかき混ぜるだろう。
天ぷらだってウナギだって鶏肉だって刺身だってご飯と一緒にかき混ぜるに違いない。すでに鰻丼はそんな風にして食べるのが一般的らしい。
それは私たちがいつも食べる丼とはまた違った丼ものに変身するのだろう。
かき混ぜる。なぜかき混ぜるか?
日本ではご飯の上に具を乗せて一体化をはかる位がせいぜい、ご飯にしみた具やタレのうまさを味わう位っが限界だろう。
混ぜご飯でも具と米を一緒に炊くか、炊いたご飯と煮た具を混ぜるか、鯛飯でも米と一緒に炊いた鯛は身をほぐしてあらかじめご飯に混ぜる。食卓にのぼるのはあくまでも完成型で食卓上で混ぜたりはしない。
美学の違いなのか? 食事に対する基本的な考え方の違いなのか?
顔の広いパクさんのおかげで大手出版社の社長や人間国宝級の料理家、食文化を研究する大学教授など多彩な人たちと食事をする機会があった。
なんでももうじき韓国版ミシュランガイドが発行されるらしい。その折りには三ツ星間違いなしと評判の高い韓国料理店にもつれていってもらった。
まずかろうはずはない。しかし超モダンな空間でコース形式で運ばれてくるフージョン料理、韓国とイタリアンを融和させた料理は静かすぎてあまりエネルギーが感じられなかった。
おかずの小皿がテーブルからあふれ出す韓国料理屋、みんなでサバの塩焼きをつつき、辛い辛い唐辛子のナムルをご飯に乗せてエゴマの葉で巻いてほうばる、比較はできないけどそういうおなじみの定食屋さんの方が楽しかった。
韓国の食はエネルギッシュ、熱気ににあふれている。人々が内に秘めた大陸的なエネルギーと歴史的な抑圧の中で蓄えたエネルギー、その総和こそ韓国の食なのである。
韓国の人は食べるのが早い。食事中は大いに盛り上がってその喧噪ときたらすさまじいけど食事が終わると後を引かずにサッと席を立つ。
韓国の人は料理を残すのを何とも思わない。
それが韓国で感じた彼らの食事の流儀。
印象に残っているのが、田舎町の食堂で食べたアサリのカルクッス。カルクッスというのは韓国版うどん、これでもかというほどたくさんのアサリを使ったそのスープは絶品、こんなに夢中でカルクッスを食べる人は初めて見たと笑われてしまった。本当に町の食堂的な庶民的な店は海鮮のチヂミもマントウもおおらかで美味しかった。
そして驚くほと安かった。
民族博物館の館長に案内してもらった食堂だが近隣では有名なところらしい。
食堂もそうだが、この博物館は実におもしろかった。
児童書専門の出版社が経営しているそうだが、全体が公園のようになっている。建物も立派ですてきなカフェも併設されている。
韓国各地の衣食住、行事、歴史にまつわるあれこれを分かりやすく分類して展示しているのだが、これだけなら通常の民族博物館と変わりはない。
特筆すべきはその展示方法にある。実に美しい。ライトの当て方、壁の色や素材、庶民の日常の品々が美術作品の如く展示してある。
キュレーターの意識の高さなのだろう。本当にすばらしかった。
しかしこんな田舎で大雨、平日と条件は良くなかったけれども観客はゼロ、これで私設博物館は経営していけるのだろうか?
特別に伝来の家具も見せてもらった。ゴテゴテと飾りはついているけど本体のザインはとてもシンプルで線が細い。シェーカーの家具を彷彿とさせた。
運転があるのに昼間からマッコリを飲んでいたパクさん姉妹も上機嫌だった。
11月の終わりにキムチを漬けるからその時にはぜひいらっしゃいとパクさんの両親が誘ってくれた。それはおもしろそうだ。
韓国から持ち帰った調味料を使って、時々ナムルやわかめスープ、鱈のスープ、テンジャンチゲなどが食卓に上る。
日本の食卓にすんなりとなじむ料理、わずかに異国の香りがする韓国料理の数々、韓国に行く前は全く関心がなかったけど韓国の料理に接して世界が広がったような気がした。
追:パクさんが「11月にキムチを漬けるからいらっしゃい」と誘ってくれた。スケジュールを合わせてチケットを手配して、キムチの本などを読みながらその日を楽しみにしていた。しかし滞在していた鹿児島に仁木の子供が早く生まれそうだとの情報が入ったのが11月中頃、本当は12月の初旬に生まれるはずだったのに。迷った挙げ句すべてキャンセル、鹿児島→ソウル→札幌の格安チケットは紙くずと化してしまった。
仕事が終わった翌日の11/28日、朝一番で北海道に戻る。すると何とその3時間後に赤ちゃんが誕生した。よかった! 将来、孫の仁菜に「私が生まれたとき、おばあちゃんはキムチ漬けに韓国に行ってたんだって。あれま」と言われたに違いない。来年の冬こそ絶対にキムチを漬けに行こう。
#17 フレンチレストランにて |
シェフは東京の名店で修行をつんだ確かな技術の持ち主だが、わざわざ食堂と名乗るあたりが奥ゆかしくてよい。
たぶんパリの街角のビストロ、近所に住む常連客が毎日、訪れるような店をイメージしたのだろう。
料理の内容も量も価格もそんな感じで設定されている。素っ気ないくらいシンプルで実質的なフレンチを提供してくれる。
たまにフレンチレストランで食事をすることがあるが、はずれが多い中、この食堂は安定的な満足を与えてくれる。
家庭で料理するとなるとどんな料理でも素材選びから調味料探しなど手がかかるのは間違いない。
しかし面倒の双璧をなすのは和食とフレンチだと思う。何気ないひと皿にも気の遠くなるような時間と手間をかける。
だから外食するのはたいていフレンチか和食ということになる。
フレンチは一皿ごとの内容、メニューの構成からサービスの方法まで他のジャンルの料理に比べてシェフの個性が強く反映する。
シェフはこのひと皿の料理で客に何を伝えたいのだろうか?
旬の野菜の美味しさか、取れたての魚の滋味を引き立てるソース作りの技か、それとも直球勝負の肉の旨さか、シェフの意図が伝わってくると安心して料理を堪能することができる。
それぞれに頑張っているのは認めるけれどがっかりさせられることが多いのはなぜなのだろう。
野菜の産地から生産者の名前まで明記しておきながら味わうにはその量が少なすぎる。一切れのレタス、半分に割られたサヤインゲンではどうやって野菜の美味さを味わったらいいのだろうか?
ソースや付け合わせ野菜で皿を絵画的に飾るよりもっとメインとなる素材にこだわった方がいいのではないか?
デザートのルバーブもルバーブの○○と名乗らなければ、これは何?のソルベやタルト。はやりの野菜や果物を取り入れるのならその特質をよく理解してからにしてほしい。ルバーブと30年来の付き合いがある私は、その本質とは無関係に記号化されてしまったルバーブに同情する。
だいたいルバーブなんて家庭のお菓子向きの素材でしょ?
イチゴが足りないから畑から引っこ抜いてきたルバーブで増量してタルトでも焼こうか、といって程度の素材だと思う。1本づつラップにくるまれて棚に並べられたようなルバーブではその特色を伝えるのは難しい。
年を重ねるごとに何だか気むずかしくなってきた。
日本の特に地方都市のフレンチレストランには本来ならそば屋や定食屋がふさわしいのにいきなり料亭を始めてしまったという感じの店が多いように思う。
日本でもトップ100位のフレンチレストランはそういうことはないのだろうが、札幌を初めとする地方都市のフレンチレストランには地に足のつかない、居心地の悪さがある。
和食の世界は料亭を頂点とするきちんとしたピラミッド構造ができあがっているのだろう。というよりも寿司屋、てんぷら屋、蕎麦屋、鰻屋というような専門料理のエキスの総和として料亭が成り立っているのかもしれない。
いずれにしても底辺を支えるのは町のどこにも見かけるそば屋、寿司屋、定食屋、日本に帰化した洋食屋、居酒屋などなど。
しかしフレンチの場合はそういう足場的な店が少ないからふつうの料理人がいきなり本格フレンチを目指してしまうのではないだろうか。
フランスの料理界では、高級レストランは街角のビストロや定食屋、カフェなどに支えられているのだろう。
そういう店が評判をよび,次第に本格レストランに上り詰めるというようなピラミッド構造が成り立っているように思う。
歴史の中で淘汰され生き残ってきた高級レストランのシェフはほんの一握りのエリート料理人なのかもしれない。
和食の料理人がこぞって料亭の料理人を目指すようなことはない。事情は同じでフランスの料理人が誰も彼も本格的なフレンチレストランのシェフを目指すとは考えにくい。ほとんどは庶民の日常を支える食堂の料理人として腕を奮うのだろう。
近年は変わってきたが、素材よりも技を重視する和食やフレンチの世界は特に料理人の存在が大きいように思う。バカ高い価格には料理人の技はもとより料理人の知性や感性に対する支払いも加算されている。技と鋭い感性と教養を兼ね備えたシェフこそがスターシェフとして一流フレンチレストランに君臨できるのである。
本来なら町の洋食屋でご近所相手に商売するのに間違って・・・という勘違いシェフが日本には多いからなかなか納得のいくフレンチには出会わない。
そういうフレンチ業界にあってフランス食堂を名乗る「K」は貴重な存在なのである。創作料理という逃げの手を使わず正当的なフレンチを気取らずに提供してくれる。
ゴテゴテと飾らない。量もたっぷり。価格も適正。
シェフは主張しない。職人として丁寧に料理を作る。たぶん腕に自信があるのだろう。Kは気軽に利用できる間違いのない真っ当なフランス食堂なのである。
日本の高級フレンチレストランのシェフは皿を自己表現の場というような大それたことは考えずにまずは「K」のような方向でまっとうな料理を提供すればいいのにと思う。
だいたい彼らに表現するほどの自己が確立しているのだろうか?受け取る側の客のことも考えてほしい。
「K」の料理がどうのこうのという前にお客さん第一のその姿勢が好ましいと思う。
高級フレンチもこういう店が増えれば支えが強化されるからより進化するのではないか?
ハレの食事ばかりではつまらない。ハレはケに支えられて初めてハレとなる。
料理の量に対してどうみても大きすぎる器、量を増やすか皿を小さくした方がいいのではないか?と言いたくもなる。
繊細と貧弱をはき違えたひと皿
名前ばかり大げさな割には印象の薄い凡庸な料理の群
もうたくさん。ガラパゴス的な方向にはまりこんでしまった日本のフレンチ、辺境の赤井川村で嘆いても仕方ないか。
日本では東京はもちろんのこと地方都市でも世界各国のレストランが軒を並べている。
#18 和菓子に夢中 |
なるほど、そういえば餡も小豆やインゲン豆、餡を包む皮も米粉、餡を固める寒天も海藻。そんな風に考えたことはなかったけど確かに伝統的な和菓子の多くは豆や米でできている。
かたや隆盛を極める洋菓子は生クリームやミルク、チーズや卵をたっぷり使う。土台となる部分も小麦にバターや卵を加えて作る。和菓子が米と豆なら洋菓子は小麦と乳製品でできている。
お菓子も地域の農業とともに生まれ発展してきた。
和菓子というものを知りたくて本を読んでみた。
しかし和菓子の概略や歴史を文字で表した本は辛気くさくてつまらなかった。
斜め読み知識だが、かつて貴重な砂糖は薬として扱われていたこと、菓子は朝廷や茶道とともに進化してきたこと、南蛮菓子の渡来が和菓子に多大な影響を与えたこと、和菓子が発展した背景には伝統をつなぎ守り抜いた菓子職人の多大な苦労があったことなどなど。
文字のみの本は2冊しか読んでいないけどいずれも個人の思い出や和菓子に対する思い入れ、京の行事や文化のあれこれが錯綜していて和菓子の全貌が掴みにくい。
たぶん、和菓子の世界に精通した著者は初心者の初歩的な疑問が分からないのだろう。そんなことも知らないの?
餡にはどんな種類があるの?生地に使う米粉はどう使い分けるの?上生菓子を頂点とする和菓子のヒエラルキーはどのように形成されたの?底辺や中盤を形成する和菓子はどんな進化を遂げたの?
などなど初歩的な疑問はネットの和菓子サイトをサーフィンした方がずっとわかりやすかった。
それに対してビジュアル系の和菓子の本はおもしろい。
春夏秋冬、四季折々の和菓子を紹介した本や上生菓子、干菓子、お饅頭など種類別に紹介した本、著者の思いのままに北欧のガラス器などに並んだ和菓子、初心者には新鮮な驚きがあった。
特にお茶席や手みやげなどに利用される上生菓子は美しい。その佇まいにはまるで美術工芸品のような凛とした美しさがある。
しかもそれぞれに風雅な名前がつけられている。菓銘というらしい。「松の緑」や「初雪」のようなストレートな名前から有名な和歌から拝借したような、それなりの教養がないと分からない名前までさまざま。
マドレーヌを「失われし時」と命名するような感じ。
命名のしかたについては何かねー、やっぱり京都はねーとちょっとイラつくけど、それでも和菓子の特に上生菓子は名前負けせず季節の風物を見事に表現している。
薄い求肥の皮から緑と茶色の餡が透けて見える「雪」ピンクがかった紅に白を重ねて中央に黄色いきんとんを乗せた「椿」じょうよ饅頭に織部焼きの緑を模して彩色された「織部」。どれをみても単純化されデフォルメされた形といい色合いといい職人の技と美意識の結晶がそこにある。
何の飾りもなく菓子皿の上にぽつんと置かれた上生菓子。小さくて淡い色合いにも拘わらずずっしりとした存在感がある。
派手に飾りたて、美しいソースをまとったケーキに一歩もひけをとらない存在感。歴史と寄り添い激動をくぐり抜けてきた重みなのか、それとも小さい割に重たいという物理的な重みなのかとにかく小さくても存在感がある。
上生菓子は芯となる餡を練りきりやこなしなどでくるむというのが基本型。餡は小豆餡と白インゲン豆を使った白あん、それを包む皮として使われる「こなし」「練りきり」「ういろう」は微妙な違いはあるものの基本は餡に手を加えたもの。目立った違いはない。
厚めにカットした艶やかな虎屋の羊羹「面影」とクリームを敷いた上に季節の果物を溢れんばかりに乗せたタルトのどちらかを選択することになったら100人中90人はタルトを選ぶだろう。若者なら100%タルトだろう。
洋菓子は変化がつけやすい。洋菓子はヨーロッパで堅い雑穀パンを食べていた人々が柔らかいものに憧れ、その憧れとともに発展してきたのだと思う。ハレの日くらいはフワフワしたものが食べたい!
卵を泡立てる、生クリームを泡立てる、生地を泡立てる。洋菓子は柔らかく、フワッとして、とろける、つまり堅いパンの対極を目指して進化してきたのだろう。(膨らませるという方向を選択した洋菓子に対して和菓子は圧縮とはいかないまでも丸めるという方向が基本となる。)
洋菓子の目指すところは現代の日本人の指向にぴったり合致する。
柔らかい、とろける、甘い(けどあんまり甘くない)これが人々がお菓子に期待する3大要素。
洋菓子はその要求を見事に充たしている。
クリームの種類を変えたり、季節の果物を使ったり、生地を変えたり、スパイスやリキュールをふんだんに使う洋菓子は目先も風味も変化がつけやすい。誰にも分かりやすい。
ブルーベリーパイとアップルパイはブルーベリーとりんごという素材を変えただけで同じパイではあるが、風味もみかけもまったく違う。
対する上生菓子。ピンクの花びらが清楚な「桜」淡い緑が愛らしい「鶯」、両者の見かけはまるで違うけど素材はほとんど変わらない。「桜」には白餡に塩漬けの桜葉が刻んで混ぜ込んであるけど「鶯」の方は目の部分に羊羹が貼り付けてあるといった違い。
「つくし」と「つばめ」に至ってはじょうよ饅頭の皮に描かれた絵柄の違いだけ。
和菓子は素材が限られているせいか味の変化がつけにくい。
うーむ、これでは和菓子の吸引力は低い。文化が若者に牽引されがちな日本では和菓子は分が悪い。分が悪い和菓子だが、和菓子は独自の文化を形成している。なんだかよくわからないままに世の中に流布している食文化とは無縁な和菓子文化、とりわけ上生菓子は頑なまでにその独自性を守り続ける孤高の菓子ともいえる。
上生菓子は形を最優先させる。障子を開ければ松の木にうっすら雪が積もっている光景が見られるのに、部屋の卓にはその情景を模した上生菓子が置かれている。
障子を隔てた庭では桜が咲き誇っているのに卓には桜を模した美しい「宵桜」がのっている。
多分、上生菓子は掛け軸や生け花と同じような役割を負っているのだろう。
こんなお菓子がほかにあるだろうか?
もちろん風味や食感の追求もされてはいるのだろうが、際だつのはやはり姿形なのである。
食物としての価値よりも美術工芸品としての価値が優先されている。
この頑なさ。あれこれいわずに上生菓子はその美しさを愛で、微妙な味わいの変化に注意しながらお茶とともにただ味わうしかないのだろう。
和菓子は小さい。どれも小さい。椿の花、ウグイス、天と地、林を駆け抜ける風、紅葉の山、冬の静寂、春の喜び、具象も抽象もほぼ同じサイズの小さな和菓子によって表現される。「天と地」が「椿」と同じ土俵で表現されるところがすごい。
多分、そのあたりは茶道の宇宙観に通じるのだろう。
和菓子には凝縮、洋菓子には拡散のイメージがある。丸めた餡を包んで凝縮させる和菓子、生地を泡立てて膨らませる洋菓子。
上生菓子はもう完成型だから、今後も進化、発展する可能性はないと思う。発展する必要もない。その枠の中で技巧を磨き、今は盛りではあるがやがては散ってゆく宿命までをも感じさせる花々、ウグイスの内面?も映し出すような造形、小豆と米で広大広大な宇宙を表現することに力を注ぐべきだろう。
和菓子の頂点に君臨するのは確かに上生菓子だが、いわゆる朝生菓子といわれるふだん着の菓子がある。
作ったらその日のうちに食べるのが朝生菓子。桜餅や大福のような餅菓子、醤油味の甘辛ダレやこし餡をのせたお団子、餡を皮でくるんで蒸したり焼いたりしたお饅頭。上生菓子がおおげさな飴細工やウェディングケーキどとすれば、朝生菓子はケーキやタルト、パイなどあたるのだろう。
上生菓子は自然を形として取り入れているが、朝生菓子では形ではなく素材として取り入れる。
野山で摘んだヨモギはヨモギ団子や草餅に、桜花の色に染められた皮で餡をくるみ、塩漬けの桜の葉を巻けば桜餅になる。桜の葉がなければ桜餅はただのピンクのあんころ餅になってしまう。桜の葉をこんな風に使うなんて大したもんだ。
柏の葉でくるみその香りをほのかに移した柏餅、柚子やゴマ、サツマイモやカボチャ、栗や柿など何気ない野菜や果物を控えめに使った普段使いの朝生菓子は洋菓子に劣らない様々な変化が楽しめる。
日持ちのする和菓子には落雁のような干菓子、餡を固めた羊羹、煎餅やアラレなどがある。
羊羹はさしずめコンフィチュール、小豆を甘く煮て寒天で固めれば羊羹、果物を砂糖で煮て、果物に含まれるペクチンの力を借りて固めたのがコンフィチュール。餡は小豆のジャムといえないだろうか?
かつてシベリアというお菓子があった。スライスした羊羹をカステラでサンドイッチしたお菓子だけど今でもあるのだろうか。
考えてみればこれは和製ジャムサンドではないか?羊羹をこんなふうに使うなんて、その独創性は素晴らしい。和菓子と洋菓子の融合のお手本ともいえるだろう。
煎餅やアラレはオーブンで焼き上げたクッキーやビスケットに当たるのだろうか。
和菓子の世界は広くて深い。何気なく食べていた桜餅も最近は、ていねいにお茶を淹れてゆっくりと味わいながら食べるようになった。
デパ地下でも洋菓子売場を素通りして和菓子売場をのぞくようになった。そこには本で見た憧れの上生菓子が本当に並んでいる。華やかで吸引力の強い洋菓子に比べれば確かに劣勢ではあるが逆境の中、がんばっている。
偶然耳にした「和菓子の材料は植物性」という一言で足を踏み入れた和菓子という未知の世界。
食の分野に限ってもまだまだ魅力的な鉱脈がたくさん埋まっている。和菓子はそのことを教えてくれた。
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